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加守廃寺→石光寺(白鳳期の石仏拝観)→只塚廃寺→當麻寺→近鉄南大阪線:当麻寺駅

 廣岡先生は今月から研究所へ異動。今回が最後の例会。

 「今回の拝観・見学先は、二上山の東山麓の地です。この地域への仏教伝来は七世紀後半に始まり、考古学的には四ヶ寺が知られています。また寺院の創建や石仏像、当麻曼荼羅、中将姫にまつわる伝承・絵巻物の舞台としても知られています。そして飛鳥・奈良時代以降の建造物・美術工芸品の至宝が多く現存する地域です。
 そこで今回は、考古学の枠を越え、飛鳥時代以来の仏教信仰の至宝を拝観し、現代の仏教活動の様子にも直に接する絶好の機会として頂きたいと思います。」

二上神社口駅
雨は集合時間にはあがった。






二上山の麓を歩く
加守廃寺(かもりはいじ:葛城市加守) 北遺跡


塔の石材
手前塔跡、南遺跡は正面尾根の向こう側。
南遺跡
四天王堂

北側から見た南遺跡
中央に長六角堂、左奥から骨蔵器が出土。

南東から見た南遺跡。正面尾根の向こうに北遺跡がある。
「現在は無住ながら四天王堂が現地に建っています。『掃守寺造御塔所解』(天平勝宝2年:750年)によると、伊福部男依が塔の造営に関与したことが記され、醍醐寺本『諸寺縁起集』によると僧の義淵によって建立された龍本寺(掃守寺。『薬師寺縁起』では龍峰寺)のことと伝えられています。また地名の「加守」や、隣接地に所在する加守神社から推測すれば、宮殿内の清掃などを職務とした掃守氏が加守廃寺の建立氏族とする説もあります。なお、この加守神社の地には、葛木倭文坐天羽雷命神社(かつらぎしとりにいますあめのはいかづちのみことじんじゃ)も所在し、この神社は機織り技術に通じた倭文氏(しとりうじ)の氏神です。この神社の存在からは、當麻寺本堂の本尊となっている「綴織当麻曼荼羅」を考える上で、見過ごすことはできないと言えます。加守廃寺の発掘調査は1991~1997年度に伽藍中心部とその周辺で実施され、8世紀初め頃に創建された寺院と判明しています。この寺院の最も大きな特徴は、建物配置にあり、中心伽藍の堂塔が南遺跡と北遺跡と呼称される別々の谷に建てられ、お互いに見えない位置関係にあることです。南遺跡には長六角堂(長辺11.3m×短辺7.2m:8世紀初め)があり、北遺跡では塔(一辺13.8m:8世紀中頃)と回廊が確認されました。いずれも凝灰岩製の基壇石が確認されています。なお、この長六角堂の南西には金銅製骨蔵器が出土した加守古墓があります。」
葛木倭文坐天羽雷命神社(かつらぎしとりにいますあめのはいかづちのみことじんじゃ)
北側寺院に残る礎石
石光寺(せっこうじ:葛城市染野)


「寺伝では天智天皇勅願とされ、現在は慈雲山石光寺と号し、浄土宗となっています。多種多様な牡丹・芍薬が境内で栽培され、関西花の寺霊場第二十番札所にも数えられています。
 別名を「染寺」(そめでら)とも呼ばれ、中将姫が当麻曼荼羅を織り上げる際に、蓮の糸を染めたと伝えられる井戸が境内に残されています。現在の境内地の南側は塔心礎の出土地と伝えられ、最近の調査で塔跡の存在が有力視されています。現在、塔心礎は現境内地に置かれています。この石光寺では『當麻寺縁起』に登場する「光る石」を彫って造られた石造弥勒仏が境内のどこかに埋まっていると言い伝えられてきました。一九九一年度に実施された発掘調査では、200点以上の仏とともに、その伝承に符合する日本最古の凝灰岩製石仏(7世紀後半)が出土し、現在は弥勒堂に安置されています。また総柱の礎石建物が確認され、7世紀後半頃には須弥壇を伴う金堂相当の仏堂として改変されながらも、平安時代頃まで存在したことが判明しています。「塑壁」と呼称される、宝相華を表現した造形物も出土しています。この寺と二上山付近に葬られた大津皇子との関連を指摘する説もあります。」
蓮の糸を染めたと伝えられる井戸
想観の沙




     咲き初めのボタン
只塚廃寺(ただづかはいじ:葛城市染野)
「1994年度の発掘調査によって、飛鳥時代寺院の礎石を伴う建物基壇が発見されました。確認されたのは、本来の建物中央部の身舎(もや)と推定できます。それを基に本来の規模を推定復原すれば、4間×5間の建物と考えられ、當麻寺金堂とほぼ同規模となります。石造の菩薩頭部や、蓮華座上に立つ立像脚部の出土が注目できます。この建物の周辺では掘立柱建物・区画溝以外に明確な寺院遺構が明らかになっていませんが、當麻氏の建立による當麻寺前身寺院説が指摘されています。」
首子古墳群
中将姫墓
當麻寺(たいまでら:葛城市当麻)

「毎年五月十四日の練供養会式をご存じの方も多いと思います。この行事は、観音菩薩らがこの世に来迎され、中将姫を極楽往生へと導く様子を眼前に実演する儀式で、一〇〇〇年以上の伝統があるとされます。また、創建当時の古代の東西両塔がいまも現存している例としては、国内唯一の古刹です。鎌倉時代以降は東面する本堂が中心的存在となりましたが、創建時の伽藍配置が今も踏襲されており、南面する伽藍と東面する伽藍が併存するという独特の伽藍配置が歴史の長さを物語っています。」

本堂
東塔
東門

當麻寺中之坊本堂(中将姫剃髪堂)

當麻寺中之坊香藕園
當麻寺石灯籠と役行者腰掛石
撮影協力 坂部征彦