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山田隆文氏 「飛鳥京跡の調査成果から」
鶴見泰寿氏 「飛鳥京跡から出土した木簡」

 爽秋の一日、秋季特別展「宮都飛鳥」に伴う研究講座の第一回目(10月19日)が行われ、研究所講堂にm人余りの飛鳥ファンが集まりました。
 最初の講師は、今回の研究所創立70周年記念特別展を担当された山田隆文先生。「飛鳥京跡の調査成果から」と題してこれまでの橿考研の発掘調査について話されました。飛鳥京跡a当時の奈良国立文化財研究所が中心となって実施した1959年の試掘調査より後、50年間に渡り橿考研が継続して発掘調査してきて、これまでで159次調査を数えます。現在では、飛鳥京跡の地面下には4つの宮の遺構が重なりあって存在していたということは、ほぼ確実のように語られています。しかしこれらは、橿考研の50年間の地道な調査研究の結果やっと確実視されてきた事なのです。 「上層を取り払わなくては下層の調査を行う事かできないが、それは上層の遺跡の破壊につながるのでできない」との話は、重なった遺構調査の困難さを示し、又やたら多くの発掘成果を期待してしまう私を反省させました。
 休憩時間の後は、鶴見泰寿先生から「飛鳥京跡から出土した木簡」についてのお話がありました。40年前に初めて出土してから現在までの遺のりを裏話を交えなから話され、木簡の存在の重要性を改めて認識させられました。以前は字がはっきりしない物が多く、解読できる場合は少なかったようですが現在では赤外線スキャナーを使うことにより解読作業の効率がダンとアップしたそうです。これからどんどん木簡の解読が進み、日本書紀との比較研究が進む事を楽しみにしています。
お二人の先生方、楽しくて有意義なひとときをありがとうございました。飛鳥京跡の調査は現在も続いており北辺の確定も待たれます。これからも飛鳥から目を離す事ができないようです。私を古代史の魅力に誘ってくれた天武天皇が迎えてくれる博物館の特別展にも期間中、何度も足を運びたいと思っています。 (藤原 三津子)
 
山田隆文氏
「飛鳥京跡の調査成果から」
 
鶴見泰寿氏
「飛鳥京跡から出土した木簡」