東大寺山古墳→和爾下神社古墳→赤土山古墳→東大寺山古墳群→僧道薬墓→和爾小倉谷古墳群→願興寺跡→上殿古墳→森本・寺山古墳群→野田古墳→和爾座赤坂比古神社→和爾・森本遺跡→楢池廃寺→櫟本墓山古墳→長寺廃寺・長寺遺跡
例会だより 圖司和巳 | |
ずぶ濡れ覚悟の会員の表情が晴れる。冬の雨上がりにしては暖かい櫟本の遺跡を、幸運にも松田館長直々のご案内で探訪出来た一日となる。200人は超える例会参加者は各々旧友を見つけては息災を喜び新しい情報を交わす。当例会のアカデミックな運営に浸り館長のお話を聞き漏らすまいと熱心に聴講しきり。東大寺山古墳、シヤープ構内の赤土山古墳にも整然と移動出来るのも運営委員さんのご苦労の賜物。今回は「廃寺・寺跡」「各種複合遺跡」についても詳しいご説明を頂く。参加者一同回復した天候にも似た満足感を胸に家路に付いた。足元の悪い中、終日松田館長には遺跡ご解説をありがとうございました。 | |
JR桜井線 櫟本駅 | |
![]() | 雨は上がったが分厚い雲が覆う。天気予報ははずれ肌寒い天気だが集まった会員は前回を上回る206名。今日は、松田館長に東大寺山から和珥坂を案内いただく。 |
東大寺山古墳 | |
![]() | 奈良盆地を見下ろす東大寺山丘陵で最も好位置を占める全長約140m、前方部幅50m、後円部直径84mの4世紀中頃から後半の前方後円墳。 砂利敷きの上に粘土槨を築き、墓壙の長さ約12m、幅約8m。砂利の上に長さ7.4mの木棺を安置、棺内には硬玉勾玉、棗玉、碧玉などの頸飾り類や、車輪石26、鍬形石27、石釧2などの腕飾り類が出土。粘土槨と墓壙の西側の間には、鉄刀7、鉄剣7、銅鏃260、東側には、鉄刀13、鉄剣2、鉄槍3、鉄鏃銅鏃60が出土。東側の5本の鉄刀は銅製の三葉文を鋳出した環頭刀で直弧文、竜文、家屋文など意匠を凝らしたものが目を引く。特に、金象嵌の「中平」紀年銘が有名。 天理教教会敷地から細い道を一列で古墳のある竹林へ。 |
後円部左側の崩れた盗掘口の下が粘土槨。 | 前方部は低く繋がる前期古墳の特徴。 |
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和爾下神社古墳 | |
![]() | 和爾下(わにしも)神社古墳は、全長約107m、前方部幅40m、後円部直径70mの4世紀終末から5世紀初頭の前方後円墳。 後円部には和爾下(わにしも)神社が祀られている。 |
![]() | 後円部からくびれ部に向かって道が延びる。前方部は道の向こうに広がる。くびれ部からは埴輪円筒棺が出土。 |
![]() | 古墳西側には柿本廃寺。礎石が散見できる。 |
赤土山古墳 | |
![]() | 南側、高瀬川畔から望む赤土山古墳。 全長107mの4世紀後半から5世紀初頭の前方後円墳。地すべりによる崩壊で長らく前方後方墳と考えられていた。 |
![]() | 墳丘裾からは埴輪列。墳丘右は2号陪塚。 |
前方部から後円部を望む。 | 作り出し部(右側の出っ張り)からは、家形埴輪や囲形埴輪が 豪族居館を表現する形で整然と並べられていた。 |
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東大寺山古墳群 | |
![]() | シャープ敷地内は、6世紀初頭から7世紀初頭の東大寺山古墳群。前方後円墳4基、円墳20基、無墳丘4基からなる。シャープ開発センター手前南側の竹やぶ上に2基の前方後円墳(東大寺山25,26号墳)が残り、下には、横穴式石室が移築されている。弥生時代後期の高地性集落東大寺山遺跡も同じ場所。 竪穴住宅跡7棟と集落を巡る二重の環濠が確認されている。 |
移築された横穴式石室 | 館長の説明を聞く。 |
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白川池 | |
![]() | 正面建物から手前に尾根が伸び、南側に、9世紀の白川火葬墓8基が造営されていたが消滅。土杭に木箱状の骨蔵器を置いて周囲を木炭を充填したもの、灰釉壷や緑釉壷など陶器を骨蔵器に用いたもの、土師器甕や皿を骨骨蔵器に用いたものがある。 右側竹やぶには僧道薬墓がある。墓誌と遺骨が納められた須恵器の骨蔵器の壷に大形の須恵器甕を被せ自然石で囲み、封土。墓誌には「佐井寺の僧道薬師族姓大楢君」とあり、櫟本周辺に居住した帰化系氏族の楢曰佐氏との見解がある。 |
![]() | 和爾小倉谷古墳群は白川池北縁に沿って西に延びる尾根上の6基の後期古墳。古墳公園として移築されている。 |
願興寺跡 | |
![]() | 和爾遺跡東方にある願興寺跡。東大寺要録によれば和銅元年天武天皇病気治癒祈願のため小野為忠が建立したとある。1997年の発掘で塔の基壇と築地塀を検出。 |
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![]() | 野田古墳を遠くに望む。墳丘の破壊が著しい、後円部が南にむいた6世紀後半築造の全長51m、復元長95m、後円部幅35mの前方後円墳。周濠から動物埴輪や盾形埴輪が出土。 |
和爾座赤坂比古神社 | |
![]() | 和爾集落内、伝和珥坂の上に祀られる和爾座赤坂比古神社。天平2年の「大倭国正税帳」には丸神として出てくる。 記紀には崇神10年の条に反乱軍討伐に際し和珥坂に忌瓮を据えて祭祀を行ったとの記事がある。 |
和爾森本遺跡 | |
![]() | 積水化成品敷地内が和爾森本遺跡。敷地内の出土品展示を見せていただく。弥生中期には方形周溝墓などの遺跡が、河道の北側に限られたが、後期になって南側に進展、古墳時代には井戸や竪穴式住宅などが築かれて拡大した。 |
櫟本墓山古墳 | |
![]() | 東大寺山から西に続く丘陵に築造された、全長64m、後円部径40m、高さ7mの前方後円墳。採取された埴輪から6世紀前半築造と推定。 |
長寺廃寺長寺遺跡 | |
![]() | 高良神社北側から奈良時代(7世紀後半)の2棟の掘立柱建物や単弁八弁蓮華文軒丸瓦が出土。 |
JR桜井線 櫟本駅 | |
![]() | 16時30分頃櫟本駅で解散。 |
(写真 文責 下尾茂敏) |