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モノレール千里中央駅10時→豊中市文化財資料室→島熊山窯址→二ノ切池公園(昼食)→上野青池南畔窯址(北畔窯址を臨む)→下村町池窯跡・羽鷹池東畔窯址(消滅)→下地蔵岡窯址→2-24窯址・2-19窯址→永楽荘窯址→西国街道→阪急箕面線桜井駅

例会だより
 昨年7月に続き、木下さんに北摂地域の遺跡をご案内いただくことになった。千里丘陵桜井谷の窯跡を巡る。幸い梅雨の切れ目、青空も覗いているが、この数日、真夏日続き。モノレール千里中央駅に集合した会員はいつもより少ない100名。最初の訪問地は、駅の北東、豊中市立東丘小学校敷地内にある、豊中市文化財資料室。閉館日にも関わらず、市教育委員会清水さんの出迎えを受ける。展示室が狭いため3班に別れ見学。一階の作業場では、多くの会員から質問が。「豊中市の窯の土器も陶村の土器編年で分類できる。陶村より30年ほど遅れた土器が焼かれた、5世紀後半から8世紀までの地方窯」など、木下さんから、須恵器片を手に説明を受ける。展示室は小学生にもわかりやすい手づくりの説明板。続いて、駅を巻きながら南東へ。千里緑地内に残る島熊山窯址は住宅地にぽつんと残る小山。柵に囲まれ、中には土器片が散乱。さらに南へ向かい二ノ切池公園で遅い昼食。30分で食事を切り上げ西へ向かい、上野小学校へ。ここは桜井谷窯群の南端、一番古い上野青池南畔窯址。土器は千里川から底の平らな船で両岸から綱で引っ張り下流の運ばれた。当然運搬に便利な下流域から窯が作られ、木と土を求めて北へ、上流へ移動したとのご説明。小学校前の斜面と北側の池の対岸が窯址。さらに西に向かい豊中高校脇から北へ。下村町池窯跡は中国自動車道南沿い、少路南交差点南西角の池の北畔。南東角の羽鷹池東畔窯址は建物の下。交差点を北に抜けた後、西に向かい千里川を渡る。橋の上から土器が運ばれた当時に思いを馳せる。さらに北へ向い下地蔵岡窯址は人家に囲まれた斜面。墓があったため残ったという。野畑図書館建設で見つかった縄文時代の遺跡、野畑春日町遺跡で小休止の後、千里川最上流の窯址2-19窯址へ。ここで強い雨が降り始めた。小降りになるのを待ち最後の見学地永楽荘窯址へ。焼成途中で天井が崩れ、土器とともに捨て去られ、おかげで重要な遺跡となった。鍵を開けてもらい遺跡内に入ったのもつかの間、鋭い雷鳴とともに土砂降り。人家の軒を借り説明を聞きながら雨がやむのを待つ。黙々と急坂を下り西国街道から阪急桜井駅へ。解散は午後4時過ぎ。木下先生、会員の皆様お疲れ様でした。 (下尾茂敏)
 
集合
千里中央駅10時案内は木下 亘さん
千里川沿いの桜井谷窯址群を案内いただく。千里古窯群は、陶村1000基に次ぐ100基規模の有数の窯址群。
5世紀後半さきたま古墳群稲荷山古墳の時期から8世紀藤木古墳の時期まで営まれた。
 
豊中市文化財資料室
豊中市文化財資料室は豊中市立東丘小学校の中にある。休日の閉館日にもかかわらず友史会のために開けていただき豊中市教育委員会清水さんに案内いただく。
 
桜井谷出土の須恵器片が山積みされた資料室で
木下さんの解説を聞く。
小学生向けに作成された手作りの展示室で
自ら発掘された大甕を前に木下さんの解説を聞く。
 
島熊山窯址
丘陵の尾根に立地する6世紀後半の窯址
東側に灰原がある。。一列になって坂を登る。
 
柵の中には垂涎の土器が 見学の間、木下さんに質問する会員
 
上野青池窯址
上野小学校校門まえで説明を聞く。
縄文時代の遺跡でもある。
北には青池が広がる。
 
上野小学校北側斜面に南畔窯址があった。
円筒埴輪と須恵器が出土。
5世紀と6世紀後半の2つの窯址群。
千里川流域桜井谷窯址では最下流の窯址。
青池北側民家の庭に北畔窯址があった
 
下村町池窯跡
少路南交差点南西角の下村町池の北畔が下村町池窯跡
斜面を利用して築かれた地下式登り窯
 
千里川
桜井谷窯で生産された土器は、猪名川水系千里川から高瀬船のような底の平らな船に積まれ綱で人が引っ張って下流、南へ運ばれた。運搬に便利な下流から窯が築かれ、粘土や燃料の木を求めて上流へ移動した。
 
下地蔵岡窯址
千里川西岸、永楽荘から延びる丘陵上の窯址。窯真上に墓があったため窯が破壊され露出しているとのことだが確認できず。 上部に墓があったため破壊されずに残った。
墓の上にはからす。
 
野畑春日町遺跡
再び東へ。野畑図書館建設で見つかった縄文時代の遺跡。
縄文中期の墓穴や前期の石の槍先が出土。
 
2-19窯址
標高60~64m地点、千里川東岸、最上流の6世紀から7世紀の窯址。全長9.5m。ここで雨が降り始めた。
 
2-24窯址
2-19窯址の北側、団地造成による調査で確認。
同じ場所で何度も作り直された全長9.5mの窯址。
 
永楽荘窯址

千里川に向って南東側斜面。焼成途中で天井が崩れ廃棄されたため窯本体に須恵器が積み上げられた状態で出土。全長10mを越す大規模な窯址。
雷鳴とどろき民家の軒に避難。小降りになるのを待って尾根を越え西国街道から阪急箕面線桜井駅で解散。
 
 写真・文責 下尾茂敏