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近鉄榛原駅→大王山遺跡→能峠古墳群→愛宕山古墳→宇太水分神社→丹切古墳群→墨坂神社→奥ノ芝2号墳→奥ノ芝1号墳→南山古墳→天ノ森遺跡→西峠古墳→谷畑古墳

4月例会たより
 今年度最初の例会は松田舘長のご案内です。「アップダウンの多い狭い道を行く…」の予告にも関わらず170名の会員が集まった。大王山遺跡のある榛原西小学校からスタート。小学校を作るために調査され今は看板と碑だけが残る。古墳時代初期のこの地域の特徴的な方形台状墓が最初に見つかった遺跡でもある。
 この宇陀地域で大々的に行われた圃場整備事業に伴なう調査で数多くの遺跡が見つかったが結果的には壊されて今は広い段々畑になっている。その時出土した能峠古墳群の数基が近くの山裾に移築されていて見学が出来る。
 旧榛原高校を作るために四47基の円墳の大半が消滅した丹切古墳群は校庭に一基だけ移築されている。すぐ近くの細い山道を登ると、この地域で採掘される通称「榛原石」を用いた板状の石材で構築した碍樹墳と持ち送りの横穴式石室との折衷型である丹切33号墳を見ることが出来る。途中桜が疲れを癒してくれる。
榛原駅到着は5時すぎ。土田会長の万歩計の2万3千歩にびっくり。皆さまお疲れ様でした。松田館長ありがとうございました。
(扇 純子)
 
集合
榛原駅に集まった会員170名 会長挨拶 今日のご案内は松田館長
 
宇陀川沿いを大王山遺跡へ向かう
朝は足取りも軽く明るく歩いています
 
大王山遺跡
『大王小学校』の中に碑があります
宇陀川と芳野川に挟まれた丘陵の突端にある弥生時代から古墳時代の遺跡。
弥生時代の遺跡 :後期の竪穴住居3基と長さ225cmの木棺を納めた一辺20mの方形台状墓。
古墳時代の遺跡 :中期終末から後期の全長26mの前方後円墳を含む7基の古墳群。
 
能峠古墳群

総数15基の中期から6世紀後半の古墳群。
 
長~~い 登り坂、峠に向かって歩きます 霧の中の能峠古墳群
小山が大小きれいに並んでいます
 
能峠古墳 2号墳
館長の説明を聞く
能峠古墳 2号墳
 
能峠古墳 3号墳 能峠古墳 4号墳
 
愛宕山古墳
墳頂石碑
道・墳頂がせまいので3グループに別れて見学
全長30mの6世紀初頭前後の前方後円墳
 
宇太水分神社
「由来書」によれば水分神が高見山から芳野の中山総社を経て上の宮にとどまり一夜の内にこの地に鎮座したと伝える。
 
丹切古墳群

47基の円墳で構成。埋葬施設は箱形石棺直葬→箱形木棺直葬→横穴式石室→小形横穴式石室と変遷。
 
丹切34号墳
斜面に作られた横穴式石室墳。
裏側はきれいな小山です。榛生昇陽高校内にあります。
開口部、順番待ちもマナー良いです
石室
小振りな自然石で構成。7世紀初頭の箱形石棺と追葬された2つの木棺も存在。草が多くて、よく見えません
 
丹切33号墳
石室と石棺
丘の中腹にあります。榛原石がきれいに積んでありますね
全長6.6mの横穴式石室を持つ7世紀前半の古墳。
石室天井石
箱形式石棺が1基あり、人骨とともに耳環や東海形須恵器が出土。
 
墨坂神社
春日大社の旧社殿だけあり、さすがに立派です。
駅から近い事もあり、たくさんの方が参拝に来ていました。


「宮講由来紀」によれば、文安元年に西峠に近い天ノ森遺跡付近からここに遷坐したと伝える。
 
旧伊勢街道
伊勢街道の道標 道標前の『あぶらや』
 
奥の芝古墳群
奥の芝2号墳
7世紀前半から中葉の、南に開口する横穴式石室墳。 きちんと蓋がされた石棺が良くみえます
玄室長約3.1m、花崗岩の天井石3枚が横に架かる。
榛原石を使って壁面を持ち送り大き目の石材を使用。
 
奥の芝1号墳
香酔川に沿って南に延びる丘陵上に立地する
7世紀中葉頃の磚槨墳。
石室は奥壁と側壁ともに垂直の構築。
同じ形の石材がきちんとならんでいるのがよく わかります。
まわりは、きれいな公園になってます
 
南山古墳
直径18mの円墳石室は寸法のそろった榛原石を使った典型的な磚槨墳。玄室長3.1m、側壁奥壁は長さ30~40cm、厚さ20cmの石材を15~17段垂直に積み天井に近い4~5段は内側に傾斜。
石室内はほとんど、埋まった状態で、開口部も小さく、這いつくばるように覗き込みました。 
 
西峠古墳
 直径10mの磚槨墳。
緑地内に移築されていて、とてもみやすい位置にありました。
 
谷畑古墳
この地域では数少ない前期古墳。直径27m、高さ4mの円墳。墓坑内には長さ5.3mの箱形木棺が置かれ排水施設が備わる。棺内から石釧と多量の赤色顔料が、棺外には内行花文鏡などが出土。

入る所は無く見上げていました。
 
(写真・解説) 大西 寿江