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五社神古墳→マエ塚古墳→佐紀石塚山古墳→佐紀陵山古墳→瓢箪山古墳→佐紀猫塚古墳→塩塚古墳→平城宮跡資料館(昼食)→市庭古墳→ヒシアゲ古墳→コナベ古墳→ウワナベ古墳

2月例会だより
 今年最初の例会は、千賀先生の案内で「佐紀盾列古墳群歩く」である。参加人数286名は過去4番目になる。コース順は案内とは少し異なつたが、予定された古墳は全てまわることができた。それぞれの古墳については会報に詳しいが、いままで探し得なかった古墳にあうことが出来たのはありがたかった。
 一つはマエ塚古墳。人家の間の駐車場となつていて、後ろの家との高低差が古墳の高さ、家のフェンスのカーブが古墳外側の輪郭に当るとのこと。陵山古墳と同時期だが距離が少しあり、従属墳ではなく独立墳。もう一つの猫塚は荒れた竹薮で、足場の悪い中を300人近い人が一斉に墳丘に入りこんだ。いかなる場所でもものともせず古墳に突き進む会員の凄まじいまでの思いに今更ながら感激。
市庭古墳の説明では発想の転換を迫られた。ご先祖の陵墓でありながら宮の造成のためには前方部を削平したのでけなく、天皇家の陵を意識して埋葬部を残したとのこと。
ウワナべ古墳の周堤で、造り出し部周辺より初期須恵器と須恵器質の埴輪が採集されており、近辺に大和で一番古い須恵器の窯があつたはずとの説明で、無事例会は終了。懸念された雨にもあわず「先生以下参加者の精進のよさを証明して、4時15分現地解散。
 千賀先生ありがとうざいました。(吉村庄司)
 
例会報告

  近鉄京都線平城駅

  参加者は総勢285名。駅前広場を埋め尽くす久しぶりの大集団に案内の千賀先生も驚かれた様子。
  晴天でもあり元気いっぱいに出発。


 
 

 奈良テレビ取材


 
本日は友史会例会初めての奈良テレビ取材チームが3名全コース同行することになった。
 近日中に仮称「友史会活動の紹介」として放映される予定。


 
事前に記者インタビューを受ける土田会長。 同行した奈良テレビ取材チーム
 

 
五社神古墳(現神功陵) 五社神古墳の図
  
 
佐紀盾列古墳群中最も古く遡る。
柳本古墳群の渋谷向山古墳の周濠に良く似ており、築造時期も近い。

 
奈良市指定のハイキングコース「歴史の道」に沿って歩く。
左側が佐紀陵山古墳(現日葉酢媛命陵)右側が佐紀石塚山古墳(現成務陵)。佐紀陵山陵が先に築造された。

 

 佐紀陵山古墳(現日葉酢媛命陵)

 
前方部の途中で東西に張り出す渡り堤によって周濠が区切られている。
陵山古墳キヌガサ形埴輪の図
陵山古墳竪穴式石室の図
 
佐紀陵山・佐紀石塚山古墳の前方部と高塚古墳(現称徳陵)の後円部の接 点である広場で千賀先生から詳しい説明があった。
3古墳とも過去に大規模な盗掘を受けている。

佐紀陵山・佐紀石塚山・高塚古墳の図
 

  マエ塚古墳

 
径50mの大型円墳。完全に市街化されて墳丘部分は民家になっている(写真後方の高まりが墳丘)。
僅かに周濠の跡が緩いカーブの道路になっている。
 

  塩塚古墳 塩塚古墳の図

 
前方部を後代に平らに削られ、建物が建てられていた模様。幅15mの周濠を持つ長さ108mの前方後円墳。
 
塩塚古墳の直ぐ東側に広がる畑一帯は平城京時代の「松林苑」の中心部分の有力な候補地であると千賀先生の説明
 

 
瓢箪山古墳 瓢箪山古墳と丸塚古墳の図
 
 
陵山古墳の東約200mにある墳丘長96mの前方後円墳。
全体が公園として公開されている。前方部西側が破壊されている
 

 丸塚古墳(衛門戸丸山古墳)

 
瓢箪山古墳の南西の周濠に接している径45mの円墳。瓢箪山古墳に先行し大正2年に14面の鏡が出土。
 

 
佐紀猫塚古墳  猫塚古墳の図

  
竹薮にすっぽり覆われていた。西向きの120m位の前方後円墳で松林苑に取り込まれ大きく変形。

 
 
平城京跡地で昼食後、東群の古墳見学に向う。
 大極殿再建工事現場の南側を通って市庭古墳の前方部跡地までゆっくりと歩いた。
 
 
 市庭古墳  
市庭古墳の図

 
平城京建設に伴って前方部が破壊されているが、周濠の南縁部分と前方部南縁が石列で表示されている
 

 ヒシアゲ古墳(磐之媛命陵) 
ヒシアゲ古墳の図

 墳頂219m、後円部径125mに対して、前方部幅は145mと幅広い。葺石・円筒埴輪列を伴う。
 現状は前方部前面のみ2重の周濠がある。西群の大型古墳では最も時期が下る。


 
 
 ヒシアゲ古墳外堤東端南にある陪塚(円墳)
 

 コナベ古墳 
コナベ古墳の図

 
この古墳では東側にも比較的明確に確認できる方墳9基・円墳1基の陪塚が整然と並び、古墳時代中期の陪塚の典型例として知られる。
 
西側の造り出しを望む地点での説明 コナベ古墳西側にて説明を聞く参加者の様子を取材
 
 
 ウワナベ古墳 ウワナベ古墳の図

 
コナベ古墳の周濠南堤を巡りつつ予定の最後、ウワナベ古墳に向う。
コナベ古墳より前方部が長くなっており墳丘長255m、西側のみに造り出しがある。陪塚の5・6号墳から大量の馬具・鉄テイが出土したこと、5世紀中ごろでは大和で最古の須恵器生産拠点があった点がよく知られている。15時15分ウワナベ古墳にて解散
 
(写真、文責)伊田嘉文