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案内 博物館 小池香津江さん
集合 JR有年駅 10時45分

 塚山古墳群→木虎谷古墳群→有年原・田中遺跡公園→蟻無山古墳→有年考古館→有年楢原野田2号墳(祇園塚)→JR有年駅


9月例会だより
 9月20日兵庫県の西端JR有年駅に集合。例会では初めての訪問地であり久方ぶりの会員もちらほら見える。
参加者は105名。有年盆地は畿内と吉備との折壌地帯と云う地理的好条件もあり、赤穂市で最も遺跡の集中するところ。この春に小池先生が歩かれて非常に面白いとお勧めの地区である。遠方なので11時にスタート。赤穂市埋文調査事務所の見学が出来ず、午後の予定を一部変更した。まず駅の北東の谷あいにある塚山古墳群へ向かう。塚山六号墳の横穴式石室に10名づつ分かれて見学。今日は3つの古墳の石室に入るので時間管理が心配。玄室の中央に間仕切石を立て前室と後室に分ける特異な構造を見る。
 南西の木虎谷古墳群の2号墳は、玄室の奥壁に石棚があり著名。市内最大の横穴式石室に入り見学。先生から棚を蓋石にした石棺とも考えられているとの説明を受け、あと6号墳も見る。隣接する田中奥山からは淋生の小型内行花文鏡が採集されており、弥生の墳丘墓が存在した可能性が高く、北部九州と交流する実力者が葬られていたのだろうか。
 有年原・田中遺跡の後元された2基の巨大な軒生後期の円形墳丘墓の前で、埋文調査事務所の荒木先生から、この遺跡の出土土器も持参されての講議。1号墳のバチ状に開く陸橋部と反対側に突出部を備えた全国でも稀な形や、両墓の周溝から出土した大型の壷・器台・高杯は後に出現する特殊壷・特殊器台の祖形と見られ、前方後円墳の初現と考えられるなど認識を新たにするような話をたくさん。あと小池先生から個人的には今一番注目しているのはこの地域で前方後円墳の出現に関わる問題は播磨を含む東部瀬戸内が鍵だと思い始めていると加えられた。それにしてもこの春に奈良博で開催された「ドイツで開催した日本の考古展・曙光の時代」にこの遺跡の壷・器台・高杯が特殊器台の誕生として展示されていたとは。記憶がなく情けないこと。
 遅い昼食のあと蟻無山古墳へ。標高70mの山項にある赤穂市最大の円墳。内部主体は未調査で不明。初期須恵器や豊冨な形象埴輪が知られており、この地域のかつてない首長墓の可能性があると。墳丘上からの眺望はすばらしく、三角縁神獣鏡の出土 (旧赤穂市で唯一)で有名な上郡市の西野山が、千種川左岸に見える。
 有年考古館で現舘長の松岡秀樹氏より開館当時の経緯などをお聞きする。本日の見学地の出土資料を確認。レプリカであるが赤穂市上高野の石の銅鐸鋳型を見て満足。西野山3号墳の三角縁神獣鏡は山城の久津川車塚・古墳の鏡と同笵と。破砕されて錆化が激しい。
 千種川を渡り右岸を上流の上郡方面へ向かう。最後の見学地である野田一号墳(祇園塚) はきれいな姿の祇園山の裾部にある。羨道入り口羨門と考られる板石があり、玄室と羨道の境界にも玄門があり、門を閉塞する扉の板石が残るきわめて特殊な構造。交代で内部を見学。遺物から6世紀後半~7世紀初めの築造かと。
 あと一路有年駅へ急ぐ。歩きながここの千種川流域の地にはなぜ前方後円墳がついに築かれなかったのかなど楽しい話がつづく。予定通り全員無事紺に到着。荒木先生には朝早くからの御同行申し訳ありませんでした。また小池先生は3つの古墳で全グループに2重に籠もりっばなしの説明で本当に大変。ありがとうございました。お陰様で有年盆地を満喫し有意義な一日とかりました。       (矢内良弘)

  山陽本線有年駅


 大阪駅から西に116km。
 遠方にかかわらず、103名が集合。駅員さんびっくり。
今日のご案内の小池さんからコースの概要の説明と、赤穂市教育委員会荒木さんが同行していただくとの説明があった。

 有年は山に囲われた小さな盆地で、稲田はすでに実って取り入れの季節。

  塚山古墳群

 塚山古墳群は有年駅北東山中に全部で19基あり、
入り口に塚山1号墳がある。
  塚山6号墳
 玄室中央に間仕切りのある11.7m以上の大形の特異な横穴石室をもつ一辺15mほどの6世紀後半から末築造の方墳

  木虎谷古墳群

  木虎谷2号墳。
 山沿いの竹やぶの中に木虎山古墳群15基がある。2号墳は、6世紀前半築造の径16mの円墳。全長約9.5mの以上の大形横穴式石室があり、石室奥壁に残る棚状の板石(厚45cm、奥行1.3m)は石室上部にあり、大変珍しい構造の古墳として知られる。

  木虎谷6号墳

 6号墳は2号墳の南西にあり、墳丘の南側に開口。無袖式の小型の石室で、開口部からしっかり見学できた。


  有年原・田中遺跡公園
 JR山陽本線から千種川左岸に沿って大きく北にカーブする地点にある、弥生中期から鎌倉時代にかけての複合遺跡。特に弥生後期の2基の巨大な円形墳丘墓で有名。1995年に墳丘墓・木棺墓群・祭祀土坑などを復元し歴史公園として整備されている。

円形墳丘墓 1号墳
径19m、東側に陸橋部、西側に突出部をもつ。
円形墳丘墓 2号墳
径15m、1号墳の北側に隣接し、出土した特殊器台・特殊壷は他に類を見ないもの。
木棺墓群
1号墳丘墓の南東方向に6基の木棺墓がある。
身分の低い人々の墓。

  赤穂市教育委員会の荒木さん解説
 有年原を初め、赤穂市の遺跡について土器持参でで解説いただく。


  蟻無山古墳群

蟻無山1号墳より千種川、上郡を望む。
 千種川を北と西に望む標高70mの丘陵の頂上に1号墳があり、眺望はすばらしい。径約52mの円墳で赤穂市最大。墳丘南側に作り出しがあるとのことだが雑木に覆われて確認できない。5世紀前半の築造で、ほかに2基の小円墳が存在したという。

  有年考古館


 医学博士故松岡秀夫氏が昭和25年に設立。「日本一小さい考古館」として広く知られる。蟻無山1号墳出土の円筒埴輪.、馬や家、楯などの形象埴輪も所蔵。播磨の歴史研究には大変貴重な施設であり、現館長には故松岡博士のご子息が継いでおられ小池さんから紹介いただいた。
石製銅鐸鋳型(扁平紐)レプリカ
故松岡博士が見出したもの。紐の部分のみの破片で実物は赤穂市立博物館に所蔵されている。
陶棺

  地蔵立像板碑
 野田2号墳に向かう道筋にひっそりとたたずむ。見逃した方も多いのでは。
 南北朝(14世紀)の特徴がよく現れた、花崗岩製の舟形光背の中の掘り込まれた高さ62cmの仏像。「はえぬき地蔵]と呼ばれ、延文3年(1358年)の碑文がある。

  野田2号墳(通称祇園塚)  6世紀末から7世紀初頭の築造。
 当初の予定の赤穂市埋蔵文化財調査事務所は改装工事にて見学できないため塚山6号墳と同じく間仕切りを持つ横穴式石室として知られる野田2号墳に向かう。有年考古館から千草川を渡り北へ2キロ余り、祇園塚の表示板を左折,急坂の終点にある。


石室入り口

墳頂に天井石が露出

玄室と羨道の間に玄門(間仕切り石)を持ち、これを塞ぐ閉塞石がある。石羨道途中ににも間仕切り石がある。
この時点で15時30分を過ぎており、残暑厳しい有年盆地を一路JR有年駅まで約4キロの行程を歩く。
写真・説明文 伊田嘉文