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平隆寺→辻ノ垣内瓦窯→竜田大社→竜田関推定地→三室山2、3号墳→三室山山頂→竜田古社の磐座→御座峰→金山媛神社→金山彦神社→青谷遺跡→JR堅上駅


  4月例会だより
 本年度の最初の4月例会は、例年通りの研究講座でなく遺跡見学となり、良い季節を迎え幸せな気分で当日を迎えました。
 期待通り17日は申し分なく快晴で絶好のウォーキング日和でした。
 集合場所は狭い勢野北口駅前を平隆寺に変更。参加者は171名。
 平隆寺からの最初の目的地は、予定を変更して、最近整備された辻ノ垣内瓦窯を見学。法隆寺や乎隆寺に瓦を供給したとのこと。現在住宅開発地域の真っ只中。
 竜田道を戻り、竜田大社に向う。当社は斑鳩町にある竜田神社の本宮にあたり、『日本書紀』等にも名神大社とみえ、古代から風の神として重要視されていた。当日の境内は宮参りの多くのご家族の姿が目についた。
 磐瀬の社を過ぎた大和川の側で竜田閲の説明をうけ、続いて閑の地裁を横に眺め、いよいよ三室山に向う。
 途中、整備された休憩所で昼食。三室山2、3号項は共に方墳で掘り割りを共有した双墓で6世紀末から7世紀前半とのこと。
石室内見学は、2号墳南石室のみ可能であったが、全員の見学に長時間かかる。
 次いでで急坂を上り奈良から大阪府へ、斜面に散在して5つの竜田古社の磐座を経て、竜田神が降臨し本宮として祀られている御座峯に全員元気に到着。
しばらく矢田丘陵の南端から畝傍山まで奈良盆地を見渡せる素晴らしいパノラマを眺めてしばし休憩。
いよいよ最格段階。これから下るのみ。途中、鉄生産に関わる神をまつる金山媛神社と金山彦神社を経て、大和川北岸の青谷遺跡にまで下る。この遺跡からは礎石建物や石敷、石組溝が検出され、又平城宮と同時代の軒丸瓦が多量に出土しており、竹原井頓宮に比定する説が有力だとのこと。ただ現在は資材置場等になっており、全く過去の面影もなく看板表示もされてないめは残念です。予定通り3時30分終了。今日初めて竜田越え中路を体験でき大満足の1日でした。
 大西先生どうもありがとうございました。会員め皆様お疲れさまでした。  (片岡 昭)

  近鉄生駒線勢野駅


駅前は手狭なので平隆寺へすぐに移動。

  平隆寺


敷地内で大西さんの説明を聞く。
今日は、古代の「竜田越」の内、中路(竜田大社→立田関→三室山→青谷ルート)をたどる。
平隆寺境内
平群寺ともいわれ、古代豪族平群氏の氏寺説と、聖徳太子建立説がある。
中門、塔、金堂、講堂が一直線に並ぶ四天王寺式伽藍。かつての金堂は、現在の金堂の右(東)側、塔は参道の右に位置する。

  辻ノ垣内瓦窯


移築された「辻ノ垣内瓦窯」
法隆寺式瓦がここで焼かれ、7世紀前半の須恵器瓦もここで生産された。
平隆寺の瓦が焼かれた2号瓦窯

  竜田大社



竜田は大和に風が吹き込む地。主祭神は「天御柱神、国御柱神」で風を司る。
日本書紀には、天武4年(675)に風神を竜田の地に祭るとあり、持統天皇譲位の持統11年(697)まで毎年4月と7月に祭りを行ったとある。

  神南備神社



飛鳥の神南備と並び有名で万葉集には10首以上詠まれた。

  磐瀬の社


大和川河畔の磐瀬の社
鏡の女王らがここ歌を詠み、歌碑が作られている。

  竜田関推定地

天武紀に登場する竜田関推定地に立つ関の地蔵

  三室山古墳


三室山
とうだんつつじの並木を抜けて三室山古墳群に向かう
三室山2号墳
6世紀末から7世紀前半築造の長方形の2号墳、3号墳が南北に並ぶ。各2個の石室がある。
2号墳の南側石室は入り込むことができ、順に見学。

  竜田古社


竜田古社の磐座
三室山を越えさらに上り詰めると
5個の立石が並ぶ。今は、祭祀は行われていないとのこと。
最も高いところにある、竜田神が降臨したと伝わる御座峰石碑。ここからは下り。
  
  金山媛神社


雁多(かりんと)尾畑にある金山媛神社
鉄生産にかかわる神社で本殿裏には大きな磐座が望める。

  
金山彦神社

金山彦神社
こちらも、鉄生産にかかわる神社。
本殿後ろは石室。

  青谷遺跡


最後に訪問したのは、青谷遺跡。
1984年の調査で、礎石建物、回廊、石敷、石組溝を検出。続日本紀に見られる、元正、聖武、光仁天皇が難波の宮行幸の際の宿泊施設「竹原井頓宮」の有力候補だが、今は、工場の資材置き場。
ここで解散して、JR河内堅上に向かう。
(写真・文責 伊田嘉文、下尾茂敏)