「キビの前方後方墳」 松木武彦氏(岡山大学)
「アズマの前方後方墳」 田口一郎氏(箕郷町教育委員会)
「前方後円墳と前方後方墳-オオヤマト古墳群を中心に-」
石部正志氏(市立五條文化博物館)
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11月例会だより 今月の例会は秋李特別展「前方後方墳」の最終研究講座に参加することになった。 冒頭河上館長が、この特別展に肯定的な評価をされたのに少し驚いた。他人に対しいつも厳しい評価をされる館長にしてはどうした風の吹き廻しか? 最初の講師は岡山大学助教授の松木武彦氏の「キビの前方後方墳」であった。その対象は、前期に作られた備前・備中の国境と美作に集中する前方後方墳である。前段として先生は古墳をみる時やはりこれらの古墳を作った人々の視点からこれを見なければならないと述べられた。その視点に立つものとして前方部の形態に注目された。最初墳丘外から主丘への通路であったものが、スロープ型、ステップ型、プラットフォーム型、サドル型といった分類がされ、この形態の変化について分析された。その変化は画一的なものでなく、美作と備前・備中でも異なり又その中での地域により違ってきたものになっている。この差は近畿の大型前方後円墳等の情報をどれほど受け取り、又それをどれほど導入したか、又過去からの伝統とどう調整させるかにより決定されたものとされた。この事から以前より語られている「前方後円墳秩序」なるものに位置付けされるものではないとの結論が述べられた。 次の講師は群馬県箕郷町教育委員会の田口一郎係長であり「アヅマの前方後方墳」であった。弥生時代の遺跡や金属器の出土状況は利根川・鬼怒川ラインで差があり、西側は濃密であり東側では散在ないしは希薄であった。それが古墳時代に入るに従いその差は縮小したという。続いて上毛野・下毛野、常陸・陸奥・出羽等の地域毎に前方後方墳の分布・規模・形態・出土品等の検討の結果が述べられた。それによれば各地域に亘り東海地方の影響を強く受けて発達していったようである。 休憩をはさんで最後は五條市文化博物館の石部正志館長の講演であった。テーマは「前方後円墳と前方後方墳ーオオヤマト古墳群を中心に-」である。最初にホケノ山古墳を題材として古墳発生を早く考える考え方に苦言を呈された。そして墓道の変化は被葬者の性格の変化によることも考えるべきと述べられた。次に邪馬台国の成立と、それが西日本国家連合となり、ヤマトの東南地区に拠点を置くなかで、古墳時代に入り、萱生支群に前方後方墳が多く築かれた。この被葬者達はヤマトの支配層の中でもやや立場の弱い人達ではなかったかとの見解だった。前方後方墳の発生は西日本に有力な古墳も多いので東海地方とは断定できないとの結論であった。最後の佐紀古墳群が形成され、前方後円墳体制の完成と共に前方後方墳は終わったと述ベられた。 先生方、素晴らしいお話をありがとうございました。お疲れさまでした。 会員の皆様もご参加ありがとうございました。(土田 嘉男) | ||
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![]() | 開催前にほぼ満席 この後椅子を追加する盛況となった。 | |
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![]() | 開催あたって川上邦彦館長の挨拶 | |
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![]() | 研究講座1 「キビの前方後方墳」 | |
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![]() | 研究講座2 「アズマの前方後方墳」 | |
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![]() | 研究講座3 「前方後円墳と前方後方墳-オオヤマト古墳群を中心に-」 | |
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![]() | 熱心に聴講する参加者の皆さんで満員の会場 (写真・説明文 伊田嘉文) | |
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