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JR向日町→物集女車塚古墳→物集女城跡→中海道遺跡→竹林公園→寺戸大塚古墳→五塚原古墳→元稲荷古墳(昼食)→向日市文化資料館→長岡京大極殿跡→長岡京関連遺跡→森本遺跡→阪急東向日駅(JR向日町)

コース説明図
 酷暑の中、東京・名古屋からの参加を含め140名がJR向日町駅に集合。
駅前で、小池先生から本日のコース概要の説明を受けた後、全員元気に出発。
 先ずは最初の、物集女車塚古項では急勾配の墳丘や横穴石室の排水溝が道路から見ることが出来た。
副葬品は環頭大刀、金銅製馬具など豪華のもので、6世紀中頃の首長墓とのこと。この物集女車塚古墳の石室は、毎年5月初旬に公開している。(問合せ先は向日市文化資料館、電話075-931-1182)
その後、向日丘陵の寺戸大塚古墳、五塚原古墳、元稲荷古墳を見学する。これらの古墳は、古墳時代前期以降のものである。五塚原古項はバチ型の前方部は箸墓古墳にほほ近いことに興味を覚えた。
 今回の向日丘陵は、古墳時代以前の弥生時代から淀川水系を通じて、東西の交流拠点として発展していたようで、銅鐸の鋳型、人面付土器や東海系土器が出土する西域とのことが不思議でたまらない。
 そして、恒武天皇が平城京から長岡京に遷都したが十年間の短い期間の宮都の大極殿・朝堂院跡などがコンクリー卜で表示されているので、当時のスケールが体感できた。
 京都市竹林公園には、織田信長が足利義昭将軍のため二条城を築造したおりに、使用する石材、石塔などが、地下鉄鳥丸線建設に先立った調査で出土したものが並ベられていた。これは、イエズス会司祭フロイスが本国に送った手紙と合致する。何時の時代も神仏を恐れぬ、権力者の傲慢さ、腐りを思い知る。
 暑い例会でキツーイ汗をかき、ハッピーな一日にしていただいた、小池先生に感謝、感激〃
 みなさん例会に参加して、元気になろう!元気を貰おう! (森田 勝)
JR向日町
ここ数日の炎天下で天候が心配されたが、雲が日差しを遮り、風が頬をよぎる。今日は、小池さんの案内で京都向日丘陵周辺古墳と長岡京遺跡を訪ねる。
物集女車塚
阪急東向日駅北西、物集女街道沿いにある、前方部が発達した2段築成.の墳長45メートルの典型的後期前方後円墳。
(写真上 物集女街道より墳丘)
1段目テラスと墳頂部に埴輪列をめぐらし、上段部には葺石が確認されている。後円部南東方向に横穴式石室が開口し、排水溝を備える。
(写真下 排水溝の展示)
丸塚山古墳(物集女古墳北西)
淳和天皇の火葬塚として管理されているが、この周辺にはかつて円墳が点在しており、その1つか?
物集女城跡
丸塚古墳北側に竹林が見える(写真左)
15世紀に築城され16世紀に廃城した東西70メートル南北75メートルの方形単郭の城跡。
土塁と周濠が巡る(写真右)
竹林公園
物集女城跡を後に、息を切らし向日丘陵を西に登る。竹林公園には、地下鉄烏丸線工事で検出した二条御所の石造物群が移築されている。二条御所は信長が将軍義昭のために築城した二重の堀を持つ城郭。石垣にはたくさんの石仏が使われた。
寺戸大塚古墳
竹林公園の南側に5基の前期古墳が南北に並ぶ。2基は削平され3基が残る。北端の寺戸大塚古墳は、前期中頃の墳長98メートルの前方後円墳。後円部3段、前方部2段築成。葺石、埴輪を持つ。埋葬施設は前方部後円部両方に持つ。前方部の開墾が進む。
五塚原古墳
寺戸大塚の南東側に位置する五塚原古墳は墳長91メートルの箸墓に似たバチ形に開く前方後円墳。後円部3段、前方部1段築成。テラスに礫を敷くが埴輪がなく、決め手を欠くが、前期前半というところか?
写真左:前方部盗掘のくぼみ
写真右:前方部から後円部を望む
元稲荷古墳
南端に位置する特殊器台型埴輪を持つ、前方後方墳。墳長94メートル後方部3段、前方部2段築成で葺石を持つ。埴輪は都月板形特殊器台型と複合口縁壺型の2種類。前期古墳の天理市東殿塚古墳との関連性が注目されている。
写真左:前方部から後方部を望む
写真右:後方部から前方部を望む
遅い昼食後、向日市文化資料館参観.。ここの見ものは、鶏冠井遺跡出土の銅鐸鋳型と森本遺跡の人面土器。
この後、時折降る小雨と解散時間を気にしながら、長岡京遺跡を廻る。

長岡京跡
写真上右:大極殿跡
写真上左:大極殿後ろの後殿(小安殿)跡

写真中右:大極殿前庭宝幢(旗を立てる棒)跡
写真中左:朝堂院第4堂跡

写真下:閤門跡説明板
長岡京周辺遺跡
写真左:内裏内郭築地回廊跡
写真右:平安遷都前の2年間設けたと考えられる東院跡。最近これより北東のビルの地下から「東院」と書いた文字が発掘されこちらが真の東院と考えられている。
進路を北西に変え阪急線路沿いの森本遺跡に向かう。人面土器は東国的イメージが強く、土器も滋賀、東海の物が混じる。東国文化の西の端か?、庄内式土器が出土しているが、奈良のものとは少し異なるとのお話。
JR向日町と阪急東向日駅に分かれて解散。
(写真、文責:下尾茂敏)