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近鉄比土駅→城之越遺跡→古郡(伊賀駅家?)→神戸神社→財良寺跡→下郡遺跡→猪田神社(昼食)→伊賀国分寺・長楽山廃寺→近鉄桑町

コース説明図
 台風6号接近による天候が心配される中、当日朝10時、近鉄比土駅には88名の会員が集合。案内の大西先生と、会員として参加下さいました河上館長との講師二2人という贅沢な例会となりました。
 早苗が風に揺れる水田の中に、古墳時代の姿のままに保存されている城之越遺跡は、この地域の首長たちがとり行った水源の祭り場で、農業用の水を確保するための祈りの場であったとの説明を受けました。
 このあといよいよ「壬申の乱を往く」12回目の遭跡巡りとなります。6月24日室生村大野で日が暮れ、次の日の朝を荊萩野で迎えるまでの真夜中の行程となった場所に当たります。伊賀の駅家は、比土駅から北西の方向の、その名も「古郡」の集落辺りとか。
 真夏のような陽射しの中、木津川を西に渡って北へ進むと神戸神社に到着。涼しい木陰とお茶の接待で元気をとりもどす。
もと穴穂神社と称し、天照大神が伊勢に逮座するまでに各地を転々とした中の一つにこの神社も入るそうです。
 財良寺は、春の特展に展示されていた、川原寺形式を忠実に摸した瓦が出土し、壬申の乱との関係が考えられる古代寺院ですが、今は丸山中学校の西に土埋らしきものが残るのみです。
 この後二つの猪田神社のうち上郡の猪田神社でポツボツ降り出した雨を気にしながら昼食を済ませ、更に北にある猪田の猪田神社へ。本殿の後に径24メートルの円墳、少し離れた所に石組の井戸に覆屋のかけられた「天之真名井」。丁度通りかかった土地の人の話では、毎年大晦日に水の祭が行われているそうで、注連縄も新しく美しいものが張られていました。
 伊賀国分寺跡は、桑町駅から2キロメートル程名阪国道沿いに東へ歩いた所の高台にあり、中門、金堂等の基壇は残っているものの礎石は全て抜き取られ、瓦の出土も少ないけれど、都ふりの瓦とのことです。
 伊賀神戸への復路、市部駅辺りの車窓から、重垂森らしき森が見え、この辺りから大海人皇子一行は暗闇の中、更に北へ向かい
伊賀の中山を超えたのだろうかと、遥か1300年余り昔に思いを馳せながら帰路に着きました。
 蒸し書い天候の中、丁寧に案内して頂きました大西先生、河上先生どうもありがとうございました。会員の皆様お疲れさまでした。  
(青木明美)
集合前の静寂に包まれた無人駅近鉄比土
左後方にこれから訪ねる城之越遺跡が望める。
特別参加で先陣を切って到着された河上館長はホームで原稿の校正中。大勢の会員が下車とのことで伊賀神戸から駅員が臨時出張してきた。
比土駅10時
台風の接近で降水確率70%の予想であったが、まずは雨の心配はなさそう。しかし異常な蒸し暑さが、前途多難の予感?。
本日のご案内の博物館大西貴夫さんから行程の説明を受ける。
今回は、天武天皇が近江京脱出の後、吉野で挙兵し東国へ向かう、672年6月24日真夜中の行程となった伊賀国縦断の一部をたどる。
城之越遺跡 大溝
周辺の美旗古墳群などの被葬者勢力が、3つの井泉から湧き出る水の祭祀を行った場所と推定される。
城之越遺跡 大型掘立柱建物跡
方向をそろえた大型建物跡が検出。豪族の館というより祭祀に関わった施設と考えられる。
元伊勢 神戸神社
伊賀郡衙推定地の散村を抜けて神戸神社に着き、冷たいお茶の接待を受ける。神戸神社はもと穴穂の宮と称し、垂仁天皇の時、倭姫命が天照大神を大和の笠縫村から伊勢神宮に遷宮するまでの間、各地を転々としたことが知られ、穴穂の宮もその中に見られる。
写真右の大きな杉の木は、藤堂高虎は伊予今治から伊賀へ来た折持ってきたと伝わる「伊予杉」。
財良寺跡(前方の微高地)
近鉄丸山駅北側に財良寺跡がある。遺構は検出されず瓦が出土したのみ。「東大寺要録」に「伊賀国 財良寺 右天武天皇御願」とあり、周辺では唯一の古代寺院。出土した軒丸瓦は川原寺の瓦を忠実に模写したもの。
下郡 猪田神社
下郡西方の波岸代と呼ばれる丘陵の東側と北側に2つの猪田神社がある。東側の下郡猪田神社の主神は猪田神。本殿は慶長9年(1604年)創建(神社由緒書きより)といわれ、三重県重要要文化財。裏の丘陵から12世紀末の瓦製経塚が発見された。外面の「大日」の文字があり、大日経が納められたと見られる。
猪田 猪田神社
丘陵北側の猪田 猪田神社の主神は武伊賀津別神。一間社流造の本殿は大永7年(1527年)の創建(上野市教育委員会説明板より)といわれ重要文化財。
本殿裏には直径24メートルの6世紀前半の円墳(写真右)があり、墳頂より灯篭のさお(写真左)が出土。「伊賀都彦大明神御廟前 天文3年(1534年) 施主 橘 安重」の銘あり。
垂園森(たれそのもり 右)とぬか塚古墳(左遠方)
折からの蒸し暑さで、徒歩での伊賀の中山越えはあきらめ、依那古駅から近鉄に乗車、桑町駅に向かう。一部の方はここから帰路へ。垂園森とぬか塚古墳は車窓から見学。
垂園森は枕草子にも記載され、平安時代以降多くの歌人に詠まれている和歌の名所。周辺の丘陵には古墳多数。
桑町から伊賀国分寺跡へ
無人駅桑町から徒歩で伊賀国分寺跡を往復。
伊賀国分寺跡
伽藍は中門、金堂、講堂、僧坊が一直線に並ぶ。塔は東側回廊の外と推定される。礎石は残っていない。
桑町16:05分発で帰路につく。蒸し暑い中、みなさまお疲れ様でした。(写真、文責 下尾茂敏)