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JR柳本駅→渋谷→宿谷(龍王山古墳群)→龍王山城南城→北城→長岳寺→黒塚古墳展示館→柳本陣屋跡→JR柳本駅

 5月の日曜日は、雨にたたられどおしであったが、当日の集合時はなんとか曇天で、ホッとしてJR柳本駅前をスタート。参加者は10才から八85才までの年令層の幅広い構成と、四月新入会員10名を含め130名。
 まず最初はオカダ塚古墳に向かう、この古墳は円墳か帆立貝古墳かで時代設定が変わってくるとのこと。
 ここから、あらためて龍王山山頂を確認して坂道を登り始める。暫く行くと小さな古墳の墳丘が目に入ってくる。
堰堤工事の為、発掘調査の小心となった西門川と渋谷川の合流点の少し手前で龍王山古墳群についての説明をうける。この古墳群は大和で最大級の群集填で総数1000基に及ぶ横穴式石室墳と横穴で混在築造されており、石室墳は古いものが比較的大きく、年代が下ると小型化し改券墓も考えられ、細長い石室が特徹。横穴は石室墳の築造が停止した7世紀まで迫葬し人口部を石積みして石室のようにしていた。
 古墳群を見学後急坂を一気に山頂を目指す。途中、龍王山城(中世)の南城と北城の分岐点で休憩を兼ね後続を待つが30分以上の時間を要す。
山頂の南城到着12時45分。頂上よりどんより空の中、なんとか畝傍山まで眺められる。南城は北城より古く当時の遺構として庭園、屋敷、石段が残る。
 昼食後北城に向かう。遺構としては土塁、虎口、堅掘等が見られる。
再度分岐点で集合、朝より楽な別ルートで一気に長岳寺方向へ下る。4時前に黒塚古墳に到着、付近の柳本藩邸跡などの説明をうけ、黒塚古墳が来年の春まで整備の為入れなかったので一応解散する。
卜部先生にはハプニング発生のため5時過まで黒塚古墳展示館前でお待ちいただきどうもご苦労さまでした。又会員の加藤様(天理市)にはいろいろご協力いただきどうもありがとうございました。会員の皆様には、今後気候も暑くなってきますので、例会のコースをよく確認し、ご自分の体調、体力を充分留意してご参加ください。 (片岡 昭)
JR柳本駅
くもり空で所々厚い雲があり雨の心配もあるお天気である。
卜部さんから「2月例会に続いての山登りだが途中に龍王山古墳群がある。山頂の昼食まではきつい登りだが頑張って下さい」との注意を受けて出発。
龍王山古墳群の入り口に位置するオカダ塚古墳
いよいよ龍王山古墳群である。大和では最大級の群集墳で石室墳と横穴が混在して総数一千基に及ぶそうだ。C-3号墳の前で卜部さんから詳しい説明を受ける。写真右上が目指す龍王山山頂である。
古墳群のなかの登山道を一列縦隊で登る。道は次第の険しく、先日来の雨でぬかるんでおり、かなりの悪路である。小雨が断続して降るなかを喘ぎつつ滑らぬように登る。
龍王山古墳群
登山道の両側に土饅頭が点在(写真左上)。あちこちに石室が顔を出す。
龍王山南城本丸
龍王山山頂(標高585.7m)に築かれた龍王山南城跡。約700m離れた別峰には北城跡がある。中世大和の有力豪族十市氏の築城。1579年織田信長の命により廃城となった。
龍王山南城遺構
本丸より北へ一段下がった郭から、石段(写真左)と建物跡(同右)が発掘された。
郭が主稜に沿って一直線に連なる連郭式で。16世紀初頭の築城当時の遺構
龍王山北城跡
北城は主郭の周りに諸郭が巡る環状式で天文年間の十市遠忠の築城。
土塁跡(写真左)や敵の横の動きを封じる竪堀(同右)が残る。
柳本龍王社
城内には、水源を祭る龍王社が2社。藤井龍王社は東側、柳本龍王社は西側への流れの水源を祭る。
登りの悪路を避け、長岳寺の北側ルートをゆっくりと下山。山之辺の道ハイキングコースにある、「青垣トレイル」で小休息。
帰路は往路の古墳に代わり石仏がここかしこに見られた。
崇神陵を左に見て整備された道を黒塚古墳へ向かう。左奥には龍王山が見える。
黒塚古墳のある柳本公園には黒塚古墳展示館があり、発掘時の興奮を思い出しつつ見学。古墳の周辺には江戸時代初期からの柳本陣屋遺構があり、中世の環濠屋敷や掘割が検出されている。(写真 文責 伊田嘉文、編集 下尾茂敏)