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新木山古墳→田中垣内遺跡→割塚古墳→小泉大塚古墳・小泉遺跡→瓦塚古墳群→三井岡原遺跡→仏塚古墳→藤ノ木古墳・西里遺跡→斑鳩大塚古墳→駒塚古墳・調子丸古墳→上宮遺跡

 秋晴れの良い天気に恵まれました。郡山駅を出発、新木山古墳は一部周濠残る。中垣内遺跡は広い範囲の遺跡の中、ショッピングセンター建設進行中。小池先生のお話では、特筆すべき検出として、円形区画溝、土器の様相が違うことをあげておられました。
 富雄川を渡り、支流の沖台川を渡ると台地上の住宅の中公園として、割塚古墳復元保存、横穴式石室長14m、玄室7m、大きな石室ですが残念です、石棺ともども埋め戻されています。
 ここから弥生遺跡の中を歩く、先生「この道路も遺跡です」と。小泉町へ向かって慈光寺蓮池の横を通り、六道山古墳前方部慈光寺の駐車場で破壊。アップダウンを繰り返しながら丘陵の一番高い位置に立地の小泉大塚古墳に到着、ここも前方部住宅が建つ。主軸は東西他二基の古墳は住宅街に消える。この古墳群は弥生遺跡上に築れてる、又築造は六道山古墳→小泉東狐塚古墳→狐塚古墳の順とのことです。
 少し斑鳩の地まで歩きです。今日は残暑を思わす暑さとなりました。道脇に秋の味覚柿の売店を横目で見ながら友史会の皆さんの長い列が続きます。今日の参加者185名です。
 左手に法起寺の三重塔が見えてきます。瓦塚古墳群の1号墳の位置まで午前中の最後の見学地の丘陵へ登り東側のくびれ部に立ち説明を聞く。少し遅くなりましたが法輪寺門前にて昼食、この時間を利用し法輪寺拝観や三井(赤染の井)を見学された方も、午後から仏塚古墳、法隆寺境内を通り藤ノ木古墳現在も調査中、隣接の住宅がなくなり古填が大きくみえました。斑鳩大塚古墳辛うじて残った姿をみる。西から東へ調子丸古墳まで2kmあまり奈良街道を歩く要所々で小池先生の説明を聞きながらの14km強の行程、先生お疲れ様でした。参加の皆さんお疲れ様でした。   松永和子
近鉄郡山駅集合
参加者が 200名近くの遺跡研修見学ともなると交通事故が一番心配である。これまでどなたが参加され、どなたが途中リタイアされたのか分からなかったが、今回の例会から参加者の氏名を,運営安全推進委員会としてしっかり把握するため、スタート前に確認させていただくことにしました。
ご面倒でも,これから参加される方は宜しくご協力お願い致します。
また岐路の多いコースでは迷わないよう黄色の矢印板(→)などを併用することにしました。
新木山古墳
郡山駅から10分ほど歩くと平坦地に全長120mの前方後円墳の新木山古墳がある。
墳丘は陵墓参考地となっていて,古墳の性格は全くわからない。
楯形の周濠や外堤の痕跡があるらしいが、がっちり金網にガードされていて近づくことは出来ない。かすかに古墳西側の人為的に造られたくびれ部から古墳であることが確認できるが、果たしてどなたが埋葬されているのだろうか。
田中垣内遺跡
弥生時代後期から古墳時代時代前期にかけての集落遺跡で、竪穴住居が20棟、井戸、水溜状遺構などが見つかっている。
近くに、縄文時代晩期の古屋敷遺跡や時期は不明であるが住居跡が認められる満願寺遺跡などもあり、古代人にとってよほど生活に便利なところであったに違いない。そして正に今この地に平成の新たな生活の拠点が歴史を飲みこんで生まれようとしているがこれでいいのかもしれない。
割塚古墳
横穴式石室を持つ大型円墳で、刳抜き式家型石棺があり、石室から銅鏡、垂飾付耳飾、切子玉、馬具類、鉄ぞく,須恵器などが出土している。出土物から六世紀前半に築造されたものと考えられている。
継体大王の大和でのまつりごとに関りを持っていたこの地域の豪族の墓なのだろうか。

富郷陵墓参考地
弥生時代後期の三井岡原遺跡の丘の頂部に富郷陵墓参考地とされている古墳がある。
聖徳太子の子の山背大兄の墓と伝承されているものである。かって墳丘から埴輪片が採集されて、考古学的には、この円墳は古墳時代中期の築造と考えられており、643年に亡くなった大兄とは時代に大きな開きがある。
今回、古墳までは行かなかったが、遠望を撮ってみた。
伝承や陵墓参考地としての指定の背景になにかがあるに違いないと思ったからである。
瓦塚古墳群
矢田丘陵の南西の見晴らしのすばらしところに3基の古墳が寄り合っている。瓦塚古墳群である。
橿原考古学研究所が1975年に墳丘調査を行っている。1号墳は五世紀前半の全長97mの二段築成の前方後円墳で葺石と埴輪列を持つ立派な古墳である。3基は連続して築成されたとのことであるが、1-2-3号墳にどのような関連があるのだろうか。
仏塚古墳
一辺23mの横穴式石室をもつ方墳で水田地帯にぽつんとある。高さが4m程度なので一見古墳と分からない。
標識とちょっとだけ見える石室から確認できるが、石室内から亀甲形陶片や馬具が出ていることが気になる。
また平安から鎌倉時代に掛けた作品と思われる12cmの銅製阿弥陀如来像や仏器などが見つかっており、この古墳が後に仏堂として利用されていたらしい。古墳の中の写真を撮りたかったが、田んぼを横切らなければならず遠慮した。六世紀末の古墳である。
藤ノ木古墳
考古学フアンにとって余りにも有名なので特に解説する必要のない古墳である。この古墳は六世紀後半の年代をもらっているが、欽明天皇の頃なのか、敏達天皇の頃なのだろうか。
韓半島との緊張した交流が最も盛んであった時期に造られている。ここにはもっともっと多くの情報が封印されている
に違いない。今は静かな雰囲気の中にある。きっとまた新たなメッセージが発っせられることだろう。
斑鳩大塚古墳
元は径35mの円墳であったらしが、墳丘の半分は破壊されてしっまっており、前に立っても古墳の面影は感じられない。
古墳時代中期のものらしく、古墳から葺石、埴輪、銅鏡、甲冑類、刀剣、筒型銅器、石釧など見つかっており、立派な古墳であることが推定できる。少し離れて全体の古墳像を撮ったが、この辺からだと立派な面影を覗うことができる。
(写真・文責 中根正喬)