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近鉄吉野駅→金峰山蔵王堂→水分神社→牛頭天王社跡→喜佐谷→宮滝

 早朝より雨。天気予報は傘と雲のマークがつき、例会案内には高低差400mのアップダウンで、約10kmの健脚向きの行程。天候に関わりなく、体調と足元の備えはくれぐれもご留意をとのご忠告に従い、登山靴に上下の雨合羽、杖も持参して吉野駅に集合。
 参集会員からは2月例会と同じく、参加者名が例会だよりに載せてもらえるのではないかとの、期待?の声もあったが49名もの参加があり、紙面の関係上ご期待に添えないのが残念。
 今回ご案内の卜部さんは四月に博物館に来られて、最初の例会案内となるが十七、八年前に一度友史会例会に参加されたとか。
 来年世界文化通産に登録されるであろう「紀伊山地の霊場と参詣道」を先取りして
 ① 吉野から熊野本宮までの修験道・いわゆる奥駈道の一端を歩く。
 ② 修験道の始まる以前、飛鳥時代の麓から仰ぎ見る吉野・すなわち宮滝から青根ケ峯を見ること。
との本日の目的の説明を受ける。
 七曲がり道の急坂をひたすら登り、黒門から銅の鳥居を経て金峯山修験本宗総本山金峯山寺蔵王堂にたどりつく。法螺貝の響く中での説明は、蔵王堂北側の本地堂新築に伴う吉野山唯一の発掘調査では、水銀朱を2センチ四方の鉛板に包んだ、不老不死の薬である鉛丹は正倉院以外にはない。聖なる樹木信仰が、絵画的に表されているザクロを箆書きした、15世紀の瓦等が発掘されている。
 再び急坂を登り12時には水分神社。参詣後、何とか雨は止んでいるが、雨に備えて300m先の高城山展望台にはい上り、昼飯とする。
 高城山下で水分神社と、当日は行けなかったが鎌倉千軒・伝金照坊跡等の説明。ここからは一気に宮滝へ向けての下り。雨に濡れた石・岩の多い道は滑りやすくて危険が多い。途中鎖場があったり、水中に木を渡したような橋もあり、すべって尻もちをついた人もあったが大したこともなく、宮滝に全員無事下山。宮滝から青根ケ峯は仰ぎ見えたのでしょうか。
 河川交流センタ前で説明後解散。
約半数は吉野歴史民俗資料館へ、半数は3時47分のバスで一路帰宅。急坂の登り降り、全員無事でなによりでした。ト部さんありがとうございました。会員の皆様本当にお疲れさまでした。 (吉村庄司)
吉野駅集合
今回の例会は、健脚向きコースで10kmの行程。前日の天気予報は雨にもかかわらず50名を越える会員が参加した。
東京、名古屋の会員の参加も得た。心強いことである。例会は雨が降っても中止にはならない。
決めたことは必ず実行していこうと言う精神で会を運営している。ご指導頂いている研究所学芸員の方達には大変迷惑な話だが、会員にとっては大変ありがたく大いに感謝している。
七曲坂
スタートから急坂である。この七曲坂では(6月20日‐25日)アジサイ祭りが開催される。すでにアジサイは咲き誇り、しばらく周辺の緑にスパイスした、その色の妖しい花の姿に心を和ませ先を急ぐ。  

銅の鳥居から仁王門
峯入第一の発心門で、これ以後、山上ヶ岳までには、修業、等覚,妙覚の三鳥居がある。
新客はまず銅の鳥居に手をかけて「吉野なる銅の鳥居に手をかけて、弥陀の浄土に入るぞうれしき」と
唱えながら廻ることになっている。 次に入った時は唱えることにしよう。 

蔵王堂
金峯山修験本宗総本山金峯山寺の本堂で国宝になっている。幾度も兵火に遭い、現在の建物は天正年間の再建によるもの。
当初は瓦葺きで、今は桧皮葺きである。平安時代末には存在していたと言われているが、どこまで遡ることができるのかは分からない。
蔵王堂境内
境内で研究所が行った発掘調査の話など聞きました。現在残っている絵図や文献に記載されている「食堂」ないし「手水屋」に該当する建物の跡が確認されたとのことです。このとき不思議に雨が止み日がさしてきた。  
吉野見水分神社
大和四所水分神の一つ、天之水分大神を主神とする式内社。「ミクマリ」が「ミコモリ」に転化し、「子守明神」とも呼ばれてる。現在の社殿は、慶長九年(1604)に豊臣秀頼により再建されたものとのこと。
牛頭天王社まえにて
山の天候は変わりやすい。先ほどまで、晴れていたと思っていたら,一転真っ黒な雲がやってきて、あたりは暗くなり,雨が降り始め、止んだと思ったら今度は霧がやってきて、視界がさえぎられてしまった。
雨模様の時の山歩きは杖など用意して、よほど用心してかからなければにならない。
最終地点宮滝へ
最終地点の宮滝に向かう。全員無事で今日のイベントは終了した。嬉しいことである。聖なる水と山を備えた聖域吉野への憧憬は、斉明天皇に吉野宮を造営させ、その後,多くの天皇が行幸を重ねた。奈良時代には山林修行僧が山に入り自然智宗の場となり、平安時代には役行者を開祖とする修験道も成立し、吉野の原形が成立するとの卜部さんの結びである。(文責:中根正喬)