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案内 博物館 光石鳴巳さん

 南海樽井駅→男里遺跡→向出遺跡→海会寺跡・古代史博物館→三軒屋遺跡→船岡山遺跡

今回の例会は、光石さんの三回日の案内で、大阪府南西部の泉南地域を縄文時代から弥生時代にかけての主要な遺跡を巡りました。
 当日は残念ながら、予報どおりの雨の中、南海本線樽井駅を男里遺跡へスタートしました。
 この遺跡は縄文晩仙期として土器等がまとまって出土したが、現在はファミリーマー卜の下に眠っている。また弥生時代の遺構も少し離れた地域で確認されている。次に同じ男里川流域にある向出遺跡に向かう。
 まだ必要なのかと思う、和歌山方面へ延良工事中の国道∴十六号線高架橋脚下に、泉南地域屈指の縄文遺跡が存在する。
 国史跡海会寺跡へ移動の為、和泉鳥取駅から新家駅へJRに乗車。
 昼食は、寺に隣接する古代史博物舘で見学も含め充分時間をとる。寺は小規模ながらも白鳳時代の古代寺院として全体像が明らかになっている貴重な例とのこと。出発前に平素なかなか出来ない全員での記念撮影をおこなう。
 二軒家遺跡は、泉佐野で最も著名な追跡のひとつで樫井川を少し下つた処にあり、縄文から弥生にかけても住居跡等が確認されている。現状は道路沿いの住宅地の下。
 最終日的地、船岡山遺跡へりんくうゲートタワーを目標にウォーキング。この遺跡も他と同じく海と川に近く段丘上に集落が連続的に営まれていたとのこと。スムースな動きで予定より半時問早く柊了。雨の中、めったに行かない不便な地域、参加者の労をねぎらうため、最後にお名前を記載させていただきます。(片岡 昭) 
 (順不同・敬称略)光石鳴巳先生、山谷雅昭(大津市)、河合誠治(京都市)、吉田千鶴子(八尾市)、山井勲(吹田市)、東由美子(京都府)、伊膝淑子(奈良市)、下尾茂敏(大阪市)、岩城敏夫(高槻市)、吹田多慶夫(大阪市)、柴田忠雄(伊丹市)、土屋寿美恵(尼崎市)、園田千江(岐阜県)、石崎伝昭(三重県)、岡西楢治(大和郡山市)、有本巌(奈良市)、丸尾彰(吹田市)、運営委員、小川会長以下十名 計27名
樽井駅集合
  この日は雨交じりの寒い日で、参加者も総勢27名と最小記録となった。行程は13kmではあるが、平坦な場所であり、雨の日の遺跡めぐりもまたそれなりの風情があって印象深い一日となった。
男里遺跡
  出土物や遺構が縄文から近世までの巾を持った遺跡である。縄文時代の遺構の性格は不明だが、弥生時代中期の遺構は拠点集落の性格を持っていたと思われる。遺物については、縄文晩期、終末期の土器がまとまって見つかっている。
向出遺跡
  泉南地域屈指の規模を持つ縄文後・晩期の遺跡である。また、縄文時代に属すると思われる土坑が1,300基に上っているとのことである。その中には、墓を強く示唆させる配石墓と思われるものも含まれている。
博物館前
  この日、泉南市埋蔵文化財センターでもある古代史博物館で昼食となる。この博物館は、国指定となった
  白鳳時代建立の海会寺の遺跡出土品の展示および海会寺跡広場のガイダンスを行っている。
  例会参加者全員の写真を撮るのははじめてである。
三軒屋遺跡
  泉佐野でももっとも著名な遺跡で、縄文時代、弥生時代、古墳時代など各期にわたっている。
  範囲も東西約1km、南北約800mに及ぶ。住居跡,炉跡、貯蔵穴などが見つかっている。
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船岡山遺跡
  泉佐野市北西部にあり、東西,南北約400mほどの縄文時代、弥生時代にまたがる遺跡である。
  集落が比較的連続的に営まれた可能性が考えられ、三軒屋遺跡との共通性がある。

遺跡中心部で解説を聞く
船岡山遺跡
  遺物出土地を探す。
(文責 中根正喬)