案内 入江文敏先生(福井県立若狭高校)、河上邦彦館長
(1日目)気比神社→穴地蔵古墳→常宮神社→獅子塚古墳→鳥浜貝塚→三方縄文博物館→上中古墳群→加茂古墳群
(2日目)若狭国分寺→県立若狭歴史民族資料館→若狭彦神社→岡津製塩遺跡→大島半島の遺跡群→神田遺跡
午前十時、河上館長、入江先生を含め97名が、2台のバスに分乗、敦賀駅を出発する。 少し走り気比神社に着く。ここで入江先生の紹介がある。先生は現在、福井県立若狭高等学校の教師していらっしやる、正に先生である。ここで入江先生より、若狭領南地域の歴史的な動きの説明がある。 気比の松原を過ぎ穴地蔵古墳に着く。この古墳は敦賀湾より道一つ隔てた山腹にある。その特徴は大きな石棚にある。側壁に組込まれ奥壁には接するのみ、幅15m、奥行2m、厚さ20mm、四つに割れその上にお地蔵さんがられている。 北上し常宮神社に着く。仲哀・神功が三韓征伐の拠点にした神社で、大谷利部が奉納したという朝鮮鐘を拝見、下方にある飛天が面白い。神主が最後に二回鐘を衝いてサービスしてくれた。 敦賀半島を横断美浜町に出る。原発を遠くに見て左折南下。この辺は海水浴場も多く、初秋の光が水面に銀砂を撒いたようにキラキラ光り美しい。五木ひろしが生まれたという町で昼食会後浜に出て、海水や妙に触れてみる。 獅子塚は国道や駐車場に囲まれひどく削られているが、本来は馬蹄型の周濠をもった前方後円墳である。主体部は横穴石室で、赤色顔料が塗られていたようだが、現在はくぼみのみで、副葬品として角杯型須恵器があり、6世紀初頭の築造と考えられる。 27号線より梅街道に入り鳥見貝塚に着く。「縄文のタイムカプセル」といわれるこの遺跡は蓮川と高瀬川の合流点にある。今は川もコンクリートで固められているが、周囲の景観を目に入れ、縄文時代には川が運ぶ土砂で三角州であったろう。往時に想いを至す。 近くの三方町縄文博物舘に入る。貝塚の地層を剥ぎ取ったものがあり興味深い。展示は縄文時代の生活がいかに豊かであったかをしのばせる。 脇袋古墳群には四基の古墳がある。膳郡山のゆるやかな山腹にあるが、かなり削平され、神人画像鏡が出た西塚などは墳丘が二つに分断されている。 十善の森古墳は27線のそばにある前方後円填で、北部九州型横穴石室を持っている。周濠もあった様だが今は27号線が通っている。墳丘上で入江先生の説明、北方200mにある丸山塚からは、大型の画文帯神獣鏡が出土した様だが、今は小さなマウンドに石碑が建っているだけ。続いて加茂古墳に至る。南・北面市場とも円填で山裾に位置する。北は全長13.7m、幅2.7米、高さ4m、南は全長12.5m、幅3.1m、高さ7.8mを測る石室である。若狭地方最大である。本見学のトップだ。 宿に入り、夕食前に両先生講義がある。河上先生は、先ほど触れた鋼鏡は5世紀に倭の五王が南朝より受けたものとしているが、この種の鏡は当時の中国は用いられておらず、古墳前期に日本に入った鏡の蹄返しと考えられるとの説。 入江先生は、この地方の製塩土器と石室による若狭の変遷を話された。 夕食後、午後9時よりラウンジで四十人足らずの会員が集まり、両先生を囲んで歓談。後半にはカラオケに出て11時まで楽しい時間を過ごした。 二日目は八時半出発、若狭国分寺を見学する。金堂・塔などの遺構が発見されているが、他の国分寺に比して小規模なのが知られる。金堂の前方東よりある、国分寺古噴が目を引く。 近くの歴史民族資料館に打く。玄関ロビーにある丸木舟を始め、昨年見学した遺跡の出土品も多く展示されておりゆっくり見学する。 海幸山幸の物語の豊玉姫を祈った若狭姫神宮に詣でる。この神什には凛とした気品がある。小高い山の深い杜叢を背に、右手に千年杉の巨樹を配し、余分な装飾を排し簡素な社殿である。 垂乳根の大銀杏・能舞台も好ましい。再度来たい。日本人の琴線にふれる古社である。 遠敷川沿いの道を登り、鵜の瀬に着く。ここに喪大寺の「お火取」の火をこの地より「お送り水」として送り出す地である。深い瀬となり水の吉さがひと際美しい。3mばかりの前の岩肌に特徴ある注連縄が架けられていて、神事の場としての空気を醸し出す。 そしてこの道は近江に抜ける鯖街道と呼ばれる古道でもある。 小浜市ドライブ・インで昼食。食後皆「へしこ」やら何やらと土産物の買物を楽しむ。荷物が増えた。 その後、岡津遺跡・船岡遺跡と製塩遺跡を見学。遺跡自体よりその立地条件が興味深かった。 原発の資金で建てられた豪華な大飯町立郷土資料舘を見学後、原発のある大島半島に入る。ヒガンジョ古填群は竹薮の中、一番大きい四号墳を始め二基の古填をみるが、墳丘はなく石室もかなり崩れており、残された右組を見て創造力を拡げる。 山地を降りてこの古填の葬者達が製塩に励んだ地に向かう、今は耕地になっているが当時は海岸であった。道端の畑には製塩土器の細片が無数に散らばっている。岐路につく。バスの中で「琵琶湖周航の歌」などを合唱しながら近江に入る。16時半頃無事近江今津駅に到着する。ここにて解散。 河上館長、入江先生誠に有難うございました。又会員の皆さんも協力してよい旅にして下さり有難う。運営委員の皆様にお礼を申します。 この経験を踏まえて次にはよりよい例会にしたいと考えています。(土田嘉男) | |
![]() | |
![]() | 案内 入江文敏先生(福井県立若狭高校) 河上邦彦館長 |
![]() | |
![]() | 穴地蔵古墳 |
![]() | |
![]() | 獅子塚古墳 6世紀前半の横穴式石室を有した前方後円墳。出土物の角杯(須恵器)2点が注目される。 半島系の遺物で、朝鮮産と見られるベンガラ等から、当地の豪族別氏は、新羅・伽耶地域との関りを想定させる。 |
![]() | |
![]() | 十善の森古墳 本墳の横穴石室は、北部九州地方の初期横穴石室と類似する点が多い。江田船山古墳出土類似の冠帽や方挌規矩四神鏡の舶載鏡も出土している。古墳時代後期初頭における豪族間交流の一端を垣間見る思いは河上館長だけではあるまい。 |
![]() | |
![]() | |
![]() | 加茂古墳群 南北東の3ブロックに密集して存在。南古墳は,6世紀中、北古墳は6世紀末もしくは7世紀はじめに推測される。 山裾にあり,現在でも猪よけの電線が設けられている。すぐ近くに加茂神社が静かに眠っている。 |
![]() | |
![]() | |
| |
![]() | 鵜の瀬 お水送りの寺で有名な神宮寺近くにある。東大寺二月堂で用いるお水取りの水源地。平素でも、清浄な雰囲気に包まれている。流石に水はきれい。おだやかな時間が流れる |
![]() | |
![]() | |
![]() | 若狭国分寺 創建年代は奈良時代後半の遺物が多く検出されていることから、国分寺建立の詔勅発布からさほど隔たらないとのこと。 存続年代は、文永2年(1265)の若狭国惣田数帳案にこの寺の記録があり、鎌倉中期まで僧寺・尼寺を具備していたと思われる。 |
![]() | |
![]() | 岡津製塩遺跡 藤原京出土木簡による調のなかに、若狭の塩があり、この遺跡は年代的にその記載と対応しうる遺構を持っている。 若狭製塩土器が大型化していく初見の段階の土器が岡津製塩土器という位置付けになる。 (文責 中根正喬) |
![]() |