案内 博物館 鈴木裕明さん
昼神車塚古墳→安満遺跡→安満宮山古墳→古曽部・芝谷遺跡→岡本山古墳→弁天山古墳→群家車塚古墳→前塚古墳→今城塚古墳
梅雨のあい間の真夏日、JR高槻駅の200余名が集合。近くの上宮天満宮で友史会小川会長の挨拶、「大和を掘る20」の案内、「かしこうけん友史」の投稿依頼、「7月、9月例会」の案内後、鈴木先生より、本日のコースの概要の説明を受け、全員元気に出発。 まず、最初の昼神車塚古墳では、墳丘上の復元埴輪は人物、円筒埴輪の内部に猪を2頭の犬が前後から迫っている狩の様子を、柵越しに夏草の間から垣間見る。 次に、安満遺跡では、稲作と遠賀川系土器が短期間に畿内に伝わり、また北陸の玉、近江産の粘板岩が発掘されたとお聞きし、淀川を介して他の地域との交流があったと納得。 安満宮山古墳に向かうが、距離と上りで悪戦苦闘するが、到着して眼下に広がる景色の素晴らしさに一息。水銀で赤く染まった復元墓壙には、「青龍3年」銘記の方格規矩四獣鏡など5鏡と鉄製品をシェルタ越しに見学。5年前の現地説明会で、汗を拭き拭き鏡を見ながら邪馬台国は畿内ではと確信したことが思い出される。 弁天山古墳、群家車塚古墳、前塚古墳を見学。途中、最近新聞報道で話題になっている闘鶏山古墳を遠望。 最近の今城塚古墳では、人物・動物埴輪を中心とする埴輪群像の出土は、関東の古墳のモデルとなっていると説明を受け、また大型の前方後円墳であることから、やはり被葬者は継体天皇であることを確信。 ここで解散。方向音痴のため道に迷い、ほうほうの体でJR摂津富田にたどり着く。 今日はキツーイ汗をかき、ハッピーな1日にしていただいた、鈴木さんに感謝、シャクラン!!(アラビア語で、ありがとうの意味)。 みなさんお疲れさまでした。7月例会で会いましょう。!(森田 勝) | |
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![]() | 昼神車塚古墳 1976年発掘調査がおこなわた。前方後円墳で前長56m。前方部に二列の埴輪列が検出され、外側に人物・円筒埴輪が並び、内側に動物埴輪gz並んでいた。特に、動物埴輪でわ、一頭の猪を二匹の犬が前後から迫っているような配置となり、狩猟の場面をあらわしています。 |
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![]() | 安満遺跡 弥生時代前期から、中期にかけての遺跡。遺跡の範囲は、東西1.5km、南北0.6km、中央に居住地域、その南に生産地域,、外辺部に墓域があったことが明らかにされている。 方形周溝墓が100基以上確認されている。北陸産の玉、石包丁の原材料となる近江産の粘板岩など、淀川を介した他地域との交流を示す異物が見つかっている。 |
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![]() | 安満宮山古墳 古墳時代 前期初頭の古墳。割竹形木棺に直葬されたと思われる被葬者の頭部附近に、鏡5面、ガラス小玉1,600点以上、足元に、刀,斧、ヤリガンナ,ノミなどあった。 青龍3年銘方格規矩四神鏡が共伴したことが注目されている。 |
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![]() | 今城塚古墳 全長190mの二重の周濠をもつ前方後円墳。60点以上の原位置をとどめた埴輪群が発見され、大型の神殿様の家形埴輪が注目されている。 三島地域の中央部では、四世紀前半から、五世紀前半にかけて連綿と築造される5基の首長墓系譜を確認できる。 (文責 中根正喬) |