案 内:青柳泰介 副主幹・学芸係長
コース:JR安曇川駅→南市東遺跡・下五反田遺跡→安産もたれ石(三尾神社旧跡)→田中古墳群(王塚古墳)→田中神社→王泉寺→安閑神社(神代文字碑)→胞衣塚(上御殿遺跡・天神畑遺跡)→鴨稲荷古墳→高島歴史民俗資料館→長谷寺→音羽古墳公園→JR近江高島駅
JR湖西線に乗車し安曇川駅に向かう、車窓から琵琶湖の湖面が輝き、彼方に近江富士と呼ばれる湖東三上山の姿が見えた。しかし、近江高島駅付近では見えなくなり代わりに台形をした伊吹山を見ることができた。
安曇川駅東口広場に集合、田中会長の挨拶と青柳先生の挨拶があった。季節柄熱中症に気を付けること、暑さ対策の水分補給、帽子の着用、田中古墳では湿った枯葉の中には山ビルがいるなどちょっと怖い注意点もあった。山ビル対策のスプレーを靴に散布し出発。駅の東側に南東遺跡の案内板があり弥生時代から鎌倉時代までの住居跡が検出され韓式土器も出土している。高島は三尾氏別業の本貫地で、父彦主人王と振媛の間に生まれた継体大王は父の死別後母に伴われ越前三国で成長したと伝わっている。安曇川と鴨川に挟まれた地が三尾氏の勢力範囲で岳山まで平野が広がる。下五反田遺跡でも韓式系土器が出土している。
この後田中古墳に向かって歩くと北側には安曇川、左側には鴨川が流れる。東側には伊吹山、西側に岳山、左の端には明神崎が見えた。田中古墳の入口は木立ちの中を入るが道には奇麗なグリーンのコケが生えていた。青柳先生を先頭に墳丘を一周する。朝注意があった、山ヒルが発生しているので足元を気にし乍ら歩く事となった。
昼食は玉泉寺のお堂と境内を借りることができた、境内には室町時代の石造五智如来像があり、優しいお顔の仏様だった。県道297号線を進むと安閑神社に着く。安閑大王と関係があるのかは不明である。また、神代文字碑があった、この文字はまだ誰も解明していない。さらに先へ行くと小さな円墳がある、看板には継体天皇伝承地「えな塚」と書かれている。継体大王の胞衣を埋めたという伝承がある。
天気は晴天でこの夏一番の暑さで幾人かの方が途中で離脱する事となった。青井川沿いの上御殿遺跡では6世紀代の百済系の大壁建物・徳利形平底壺などが出土しており渡来系の居住が考えられる。鴨稲荷山古墳は墳丘の大半が消失しており石棺が露出している。石棺には保存の為覆屋が設置されている。この古墳からは多くの副葬品が出土しており藤ノ木古墳を思い浮かべるほどの内容である。被葬者は三尾氏など継体大王を支える人物であると思われる。
高島歴史民俗資料館は二組に分かれて拝観した。鴨稲荷山古墳の副葬品や須恵器などの展示があった。久しぶりにクーラーがかかった建物に入り一息つくことができた。
この後は岳山を見ながら暫く直線道を歩く。長谷寺で休憩をとる、伝説では高島からの流木が奈良の長谷寺本尊の用材になったと言う。高島杣の用材は奈良へ運ばれていたのだろう。
最後の音羽古墳群へ向けて中野墓地をすり抜けて山に入る。
音羽古墳群では3基の石室が有り10号墳は片袖で奥に棺台の設置がある。暑い夏の日でしたが、高島の地で、臨場感あふれる貴重な説明を聞き、楽しく有意義な一日となりました。青柳先生ありがとうございました。(松本和英)
湖西線車窓から伊吹山
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下五反田遺跡を歩く
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安産もたれ石
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田中古墳参道
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田中古墳墳丘
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田中神社
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田中神社境内
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杣山遠景
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近江富士三上山
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神代文学碑
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鴨稲荷山古墳石棺
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高島歴史民俗資料館
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音羽16号墳
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音羽16号墳石室
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音羽8号墳
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