案内:鈴木朋美主任研究員
集合・解散:大和八木駅
横大路→曽我陣屋跡→南曽我遺跡(天太玉神社)→曽我遺跡(天高市神社)→芝ノ前遺跡→南曽我遺跡→中曽司遺跡(宗我都比古神社)→土橋遺跡(小槻遺跡)→藤原京西十坊周辺→人麿神社→入鹿神社
前日の雨も上がり少しひんやりとする朝、近鉄大和八木駅北側広場に元気な友史会員130名が集まった。
田中新会長の挨拶の後、4月例会担当の鈴木朋美先生から車の往来が激しい横大路を歩く注意点と、当日歩く橿原市北西部に於て「真菅」に(ますげ)(ますが)と異なる読み方が並存していることについての説明があった。「真菅よし」は「そが」に掛かる枕詞で万葉集にも柿本人麻呂の歌がある。私は植物のスゲから真菅(ますげ)が順当だと思う。
大和八木駅を出発。東西に延びる横大路に入る。推古天皇の時代からの古道であり、後には伊勢街道・竹内街道とも呼ばれ街道の雰囲気が残る。しかし現在では国道の抜け道として車が多く歩行者には酷な道となっている。
西に進むと曽我川にかかる豊津橋に到着。橋から南を見ると曽我川と高取川の合流地点が見えた。高取川を南に遡ると東漢氏が拠点とした檜前である。橋のそばには縦に割れた石の道標がある。「右 たつ田法隆寺」と読める。斑鳩はまだ遠いが旅人が一休みした場所だろうか。南曽我遺跡では弥生時代後期~古墳時代後期の墳墓や竪穴住居跡が見つかっている。遺跡内にある天太玉神社は祭祀を司る忌部氏の祖先を祀る。
豊津橋に戻る。今回は見学できなかったが、西方に位置する曽我町北交差点の東で2019年・2020年に横大路の北と南の側溝が検出されている。調査地が近接することから、路面幅23.3mがほぼ確実となった。広い横大路を飛鳥の都に向かう人々や馬が往来する姿が思い浮かぶ。
北に向かい古墳時代の遺構から約63万点もの玉や原石が出土して話題となった曽我遺跡へ。橿原バイパスの高架下の調査地で説明を聞く。日本各地から持ち込まれた滑石・緑色凝灰岩・碧玉・ヒスイなどの原石を用いた玉の製作址である。曽我川近くの芝ノ前遺跡では中世住居跡、墓域が発掘され、2021年には鈴木先生により羽釜などの中世の遺物を含む旧堤防が見つかっている。曽我川沿いに広がる曽我川緑地公園で新緑を眺めながら昼食・休憩。
午後は曽我川から少し離れ、橿原バイパス沿いに北に向かって歩き鈴木先生が2019年に発掘された土橋遺跡(小槻遺跡)へ。歩道橋の上から調査地を眺めながら説明を聞く。古墳時代中期前葉の方墳3基が見つかり、前期の掘立柱建物や土坑などの遺構も検出されている。途中、藤原京北西角に立ち寄り南下。スーパーの敷地となっている土橋町南交差点南東の調査地では南北の条坊道路が東西道路に優先して造られていることが判明している。地黄環濠の西にある人麿神社は、葛城市の旧新庄町から分祀されたもので、本殿は重要文化財に指定されている。蘇我入鹿を祀る入鹿神社と正連寺大日堂にお参りした後解散。
蘇我氏と縁が深いといわれる橿原市曽我町を中心に沢山の遺跡や発掘調査地での臨場感あふれる貴重な説明を聞き、楽しく有意義な一日となりました。鈴木先生ありがとうございました。香芝市 藤原三津子
近鉄八木集合
蘇我陣屋跡
高取川と曽我川
南曽我遺跡(天太玉神社)
曽我遺跡(天高市神社)
西曽我遺跡
曽我川から二上山
中曽司遺跡(宗我都比古神社)