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2018年友史会4月例会「南河内の前期古墳を歩く」
案内 入倉徳裕副館長
日時 4月15日(日)10時
集合 近鉄大阪線 河内国分駅東口
行程 近鉄河内国分駅→松岳山古墳→高井田横穴群→柏原市立歴史資料館→片山廃寺塔跡→玉手山1号墳→玉手山2号墳→玉手山3号墳→安福寺横穴群→安福寺境内割竹形石棺→玉手山7号墳→近鉄河内国分駅
 今回は大阪府柏原市域の前期古墳を中心に歩きます。アップダウンのある役9kmのコースです。

河内国分駅

近鉄国分駅前で下尾会長の挨拶。博物館休館時の友史会活動について説明。

「休館時も友史会は活動を継続します」

ご案内をいただく入倉徳裕氏から例会のテーマである柏原市域の前期古墳について説明を聞く皆さん。

雨天にもかかわらず100名のかたが集合。

松岳山古墳を目指して大和川左岸を歩く。中央が松岳山。

背後に見えるのは芝山。松岳山古墳の石材玄武岩を産出した山。

松岳山古墳

松岳山古墳は国分神社北側の松岳山の丘陵にある

国分神社が管理をされていて、両横に付けて頂いている手摺が有難い!

石碑が建つ前方部から後円部墳丘へ向かう。

後円部のみが大正11年3月に国の指定史跡になっている。

石棺の側石は香川県産の凝灰岩。蓋石と床石は芝山産の安山岩。長辺側石の南北には縄掛け突起がある。

奥に見えるのは小さな孔があけられた謎の立石(南)。

小さな孔があけられた謎の立石(北)。

佐紀盾列古墳群にある日葉酢媛命陵にもよく似た立石が、この古墳の被葬者が気になる皆さん。

謎の立石(北)の眼下には大和川が雨に霞で見える。

木立がなければ墳丘から古市古墳群辺りも見渡せるだろう。

石棺を囲んで入倉先生の説明を聞く。謎の立石の近くにいる人は立石を観察

「立石の孔は何のために開けられたのだろう?」議論の花が咲く!

石棺内部(南東側)

石棺内部(北東方向) 天井面と側石は内刳りを施し、頭や体の部分に合わせて底石を浅く彫り込んでいるが、落ち葉と雨水が溜まりよくわからない

南立石から北方向を覗くとその先に北立石と石棺が視角に入る

江戸時代に松岳山の丘陵から出土したと伝えられる「銅製船氏王後墓誌」は国宝!

この最古の墓誌には船氏王後が夫人と松岳山上に合葬されたことが記されている。

楕円筒埴輪は、前方部全面に構築された板石積み上のテラス面から見つかったもの。2点は原位置で確認され、ほぼ完全な形で復元されている。

松岳山古墳出土(左から)複合口縁壺~丸底壺(柏原市立歴史資料館)

松岳山古墳前方部西にある茶臼塚古墳の発掘地

大和川に架かる国豊橋を北へ、高井田横穴群へ向かう。

右、住宅屋根の上の位置に「史跡高井田横穴公園」の看板が見える。

高井田横穴群

第3支群7号墳に入る。普段は鉄柵に施錠がされ見学は出来ない。

特別に開錠して頂き、柏原市立歴史資料館学芸員の山根航氏に説明をして頂く。

第3支群7号墳 羨道は低くかがんで石室に入る。未明からの大雨で床には30cmの高さの水が。

「長靴を持ってくれば良かった」と残念そう。

天井部と側壁の間が彫り込まれており、家形を模した石室か?

第3支群7号墳,羨道上部に「蓮」の線刻壁画が見える

第3支群7号墳石室 線刻壁画は落書きかも?

第3支群6号墳に入る。ここも普段は鉄柵に施錠がされている。

第3支群6号墳内部

第3支群5号墳 線刻壁画「船に乗る人物」を見る順番待ちの列。

年2回一般公開をしていたが、風化が危ぶまれ昨年で廃止になっている。

今日の参加者はラッキー!

第3支群5号墳 羨道右の線刻壁画(左)とレプリカ(右)

船に乗る人物のズボンは太め!膝あたりで絞っている。これは人物埴輪と同じ服装!

第3支群5号墳 羨道右の線刻壁画

第3支群5号墳 羨道左の線刻壁画「船に乗る人物」

高井田山古墳 石室内南側には須恵器が発見されたときの状況を再現 ガラスに雨粒が付着し、見えにくい。

高井田山古墳 石室内東棺には熨斗と神人龍虎画鏡。西棺には耳環と鉄刀。棺外に甲冑類や須恵器等が発掘された状態で再現されている。

柏原市立歴史資料館

柏原市立歴史資料館を見学

松岳山古墳出土の楕円筒埴輪を見学。

紫金山古墳からも同じ形の埴輪が出土。

高井田山古墳の副葬品 鈴付高坏、金冠碧玉製管玉、琥珀製丸玉と土玉の首飾り等。

高井田山古墳東棺から出土した熨斗(ひのし)と神人龍虎画像鏡

熨斗は最近「世界ふしぎ発見!」に古代のアイロンとして登場!

大和川に架かる国豊橋を南へ、片山廃寺へ向かう。背後右の木立が玉手山1号墳、左の老人福祉センターが建つ木立が3号墳

雨も上がり、古墳を目指して歩く

片山廃寺

巨大な礎石 奥の建物は片山薬師堂

大きい礎石のまわりで入倉先生の説明を聞く。写真左の建物が片山薬師堂。昔から薬師堂の近くに大きな礎石があるといわれていた。

玉手山古墳群

玉手山1号墳

体育館でトイレをお借りし、1号墳後円部南西辺りで小休止

古墳巡りの難関はトイレ「我慢しないでください!トイレはもうありません」と運営委員さんの声が響く。

1号墳西の公園から西方向には、正面に市野山古墳が(允恭天皇陵)、その左に道明寺天満宮の森と仲ツ山古墳(仲津山陵)が見える。「古市古墳群が見えるよ!」と皆さん童心に帰ったよう。

1号墳 後円墳は狭いので2班に分けて上がる。写真左は前方部

1号墳後円部には大坂夏の陣・奥田忠次と家臣五人の供養碑があるので発掘調査はされていない。

墳丘は天理市渋谷向山古墳と同じ形態だとの指摘もある。

1号墳上から南、2号墳は墓地に様変わり!

老人福祉センターの向こうに3号墳がある。

老人福祉センター進入路の背後(北西)は墓地(2号墳)と仲ツ山古墳。右端に市野山古墳が見える

玉手山3号墳

3号墳の北には1号墳が存在感を示す

3号墳後円部へ行く「歴史の散歩道」は、老人福祉センターの敷地にある

3号墳後円部は大坂夏の陣の激戦地。東軍が後藤又兵衛を破ったことに因んで「勝負山」とも呼ばれる。

今は荒廃地。円陣の中央は盗掘された場所。

3号墳前方部上から西には誉田御廟山古墳(応神天皇陵)が見える

柏原市はもうすぐ「世界遺産が見える市」で有名になるかも?

安福寺横穴群

安福寺横穴南群。向かい側、一段高い北群から撮影。

入倉先生の説明を聞く。一段高い横穴が北群。

北群10号横穴の羨道には線刻壁画があり、懐中電灯を手にのぞき込む。

図の表現から後世の落書きと考えられている。

北群10号横穴左の羨道に刻んだような線は「馬に乗った人物」のように見えるが不鮮明。

北群横穴内部

南群横穴内部

安福寺所有 割竹形石棺蓋

安福寺境内 割竹形石棺蓋(北から撮影)

勝負山(3号墳)から出土したと伝えられている。天地逆に据えられ、長い間手水鉢に再利用されていた。

平成2年6月に国の指定文化財になり覆い屋が付けられた。

側面に突線が一条巡り、口縁端部から突線までの幅約10cmに直弧文が施されている。

石材は香川県鷲ノ山産の凝灰岩を使用。讃岐地方との関わりがあるのだろうか?

直弧文の図。(石棺蓋横に立つ柏原市教育委員会の説明板より)

玉手山7号墳

出土遺物から、玉手山古墳群の中で最も新しい古墳。

後円部に大坂夏の陣の戦没者に対する供養として宝篋印塔が建っている。

前方部は安福寺境内になっており、尾張徳川家二代光友の墓がある。

玉手山7号墳南裾

玉手山6号墳にあった2基の竪穴式石室のうち、残存状態の良い東側石室を7号墳後円部南側に移設した。

かつて「すべり台古墳」と呼ばれた6号墳は開発の犠牲となったが、竪穴式石室の構造を見ることが出来る貴重な石室として蘇っている。

7号墳北方にあった6世紀の円墳東ワカ山古墳の組合式家形石棺。

看板には「古墳の調査が終了したので石室と石棺がこの場所に移された」とある。

石室と石棺が移されたエリアには後藤又兵衛奮戦の地碑、奥田三郎右衛門忠次の墓碑が建つ。

柏原市の前期古墳をめぐり終え、入倉先生のあいさつ。

入倉先生ありがとうございました。このあと、近鉄国分駅へ。

写真撮影 小田 正