日時:2021年10月 9日(土)
案内:入江文敏氏 吉村学芸課長
昨年春に実施予定だったがコロナで順延。
2002年以来20年ぶりに入江先生の案内で若狭の古代遺跡を巡る
JR京都駅八条口に集合
----
湖西道路が渋滞のため1時間遅れで「道の駅藤樹の里あどがわ」に到着。トイレ休憩
今回はコロナ対策のためバス3台、2席に1人と人数制限して開催。
----
若狭三方縄文博物館
若狭三方縄文博物館前で説明される入江先生(左から二人目)
----
若狭三方縄文博物館の正面
----
縄文博物館内での見学風景
----
鳥浜貝塚出土土層のレプリカ展示
----
ユリ遺跡出土丸木舟
鳥浜貝塚の西隣、ユリ遺跡では、縄文時代の丸木舟9隻が出土している。縄文時代中期から後期(4,500~3,500年前)の住居跡が発見されている。
----
丸木舟出土状況展示のアクリル板上での説明
----
縄文土層内から取り出された樹木根方
----
福井県立年縞博物館
福井県立年縞博物館
年縞とは「長い年月の間に湖沼などに堆積した層が描く特徴的な縞模様の湖底堆積物」のことで、1年に1層形成されるす。縞模様は季節によって違うものが堆積することで、明るい層と暗い層が交互に堆積することでできる。
「三方五湖」のひとつ「水月湖」は、年縞が形成される環境として理想的な湖。その理由は、①直接流れ込む河川がない ②湖底に生物が生息していない ③時間が経過しても埋まらないため。
水月湖では湖底がかき乱されることがなく、美しい縞模様が形成される。また、断層活動のため湖が埋まることなく、水月湖では7万年もの間年縞を形成し続けている。
----
博物館内での水月湖の年縞
----
博物館内での実年縞の展示
---
3万年前の火山噴火に伴うシラス堆積した年縞
----
年縞博物館外の隆起地形の説明。三方湖から水月湖方面を望む。
----
鳥浜貝塚
三方湖の南東、鰣(はす)川が三方湖に流れ込む付近に広がっている。3軒の竪穴住居跡が検出され、貝塚は地下3mから7mの深いところに残っていた。貝殻、動物骨、木や種子、葉、土器、石器、骨角器、木製品、漆製品、繊維製品と木の実の貯蔵穴なども検出。約1万2000年前(縄文時代草創期)から約5500年前(縄文時代前期)の遺跡で、縄文時代前期の6000年〜5500年前が最盛期であった。
現在の鳥浜貝塚(バス窓から見学)
----
鳥浜貝塚公園(バス窓から見学)
----
若狭フィッシャーマンズワーフで昼食
----
若狭歴史博物館に向かうバスの車内
----
福井県立若狭歴史博物館
福井県立若狭歴史博物館
----
若狭歴史博物館内での田楽舞の展示
----
若狭歴史博物館内での鳥浜貝塚出土の縄文土器の展示
----
若狭歴史博物館内での弥生時代木棺の展示
----
加茂古墳
加茂古墳は加茂北古墳、加茂南古墳をさす。
両古墳とも30mを超える後期の円墳で南に開口する。
北古墳は石室長13.7m、玄室長4.7m、玄室最大幅2.8m、玄室高さ3.96m。
加茂北古墳横穴式石室入口で順番待ち
----
加茂北古墳横穴式石室入り口
----
加茂北古墳横穴式石室
----
加茂北古墳横穴式石室天井石
----
加茂北古墳横穴式石室奥から入り口を見る
----
加茂南古墳石室(今回は見学せず)
南古墳は石室長12.48m、玄室長4.2m、玄室最大幅3.1m、玄室高さ3.76m。
南古墳が北古墳に一世代先行する
----
加茂北古墳傍で入江先生の説明
----
日笠古墳群 上船越古墳
南側から見た上船越古墳墳丘 右が後円部(車窓から見学)
全長70m、後円部径36m、前方部幅50m。墳丘高さは16m。埴輪がみつかっており盾形の周濠がめぐる。6世紀前半築造で、北側に隣接する下船越古墳に先行する。
北側に全長85mの前方後円墳の下船越古墳など6基の古墳がある。
----
上船越古墳墳丘
----
上船越古墳墳丘図
----
天徳寺古墳群 十善の森古墳
南から十善の森古墳墳丘 右が後円部(朝の渋滞で時間がなく車窓から見学)
現状で全長67m、後円部径43m、前方部幅45mの前方後円墳。
前方部、後円部に石室を持つ。
石室は北九州式横穴石室で玄室は左片袖式胴張形で内面にベンガラが塗られていた。
----
西から十善の森古墳墳丘 前方部から
----
十善の森古墳墳丘図
----
天徳寺古墳群 丸山塚古墳 十善の森古墳墳丘から
直径50m、6世紀中頃の円墳。水害復旧の土取りで大きく損傷。
石室内より画文帯神獣鏡、双龍式環頭、杏葉などが出土した。
----
若狭町歴史文化館
----
若狭町歴史文化館を3班に分かれて見学
----
若狭町歴史文化館内での短甲、鉄刀等の展示
----
脇袋古墳群
若狭「王家の谷」と呼ばれ、前方後円墳4基と円墳3基とからなる中期初頭から後期の古墳群。
脇袋古墳群 上ノ塚古墳遠景
全長100m、後円部径64m、前方部長36m・幅60mの前方後円墳。
葺石、埴輪を有する。
墳丘東側とくびれ部に木柱が見つかり、周濠から槍形木製品が見つかった。
---
上ノ塚古墳墳丘図
----
上ノ塚古墳 後円部墳頂から前方部
----
上ノ塚古墳 前方部墳頂から後円部
----
上ノ塚古墳 前方部前端左裾から後円部。木柱が見つかった付近。
----
脇袋古墳群 西塚古墳 草を刈った冬の写真。左側の高まりが前方部の名残。
全長74m、後円部径39mの中期後半(5世紀後半)前方後円墳。周濠、葺石、埴輪(人物埴輪、馬形埴輪)を持つ。
大正5年の小浜線工事で土取りが行われ前方部と後円部に一部が削平された。
石室には朱の彩色がある北九州式横穴式石室を持ち、鏡(中国製神人画像鏡、仿製四獣鏡)、装身具(耳飾り、金銀の鈴、ガラス玉)、武具(眉庇付冑、小札鋲留衝角付冑、横矧板鋲留短甲)、馬具(辻金具、轡、杏葉、金銅帯金具)などが出土した。
西塚古墳 墳丘図
----
脇袋古墳群 糠塚古墳
墳丘長50~60m、後円部径31m、前方部幅47mの前方後円墳。
----
糠塚古墳 墳丘図
----
夕日を浴びながら上ノ塚古墳・後円部墳頂での入江先生の説明を聞き帰途に就く。
---
参考)古墳編年図
若狭町古墳マップ
https://www.town.fukui-wakasa.lg.jp/jomon/gazo/download/kofun-map.pdf
以上