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日時:11月15日(日)午前10時15分
案内:青柳泰介学芸係長
集合:JR和歌山線北宇智地駅前
行程:塚山古墳→つじの山古墳→五條文化博物館→昼食→特別展・常設展見学→五條猫塚古墳→北内鑵子塚古墳→丸山古墳→西山古墳→JR北宇智駅解散

今回例会で訪れる五條市北部の北宇智地域は『万葉集』にも詠まれている「宇智の大野」を指すのではないかと言われています。特に今回歩く近内古墳群が存在する場所は奈良盆地西南部の葛城地域と紀ノ川流域を繋ぐ要衝の地で、風の森峠を介して紀ノ川流域に伸びる「宇智斜向道路」と、重坂峠から巨勢谷を経由し紀ノ川流域に伸びる「紀路」の2本の幹線道路に挟まれた所に形成されたのではないかと。またこれらの古墳の配置状況を見ると、奈良盆地から紀ノ川へ向かう人たちにインパクトを与えるように意識して形成されたのではないかと。青柳先生は考えておられます。

古墳の位置関係を歩いて確認しながら、博物館では貴重な出土遺物を見学し、葛城地域との繋がりを強固なものにしっていった宇智地域集団について考えたいと思います。

「今回は、奈良盆地西南部の葛城地域と紀ノ川流域をつなぐ結節点にあたる五條市宇智に展開する古墳時代中期( 五世紀代) を中心とする近内古墳群を歩き、途中、市立五條文化博物館で開催中の『五條の古墳を掘るー奈良県立橿原考古学研究所・同附属博物館収蔵品の里帰り展―』を見学します。「葛城地域から宇智地域を通って紀ノ川へ至るルート沿いには北から塚山古墳【五世紀中葉】、つじの山古墳【五世紀中葉~後半】、五條猫塚古墳【五世紀中葉】、大墓( 青墓) 古墳【四世紀後葉】の大型方墳が並びます。一方、五條猫塚古墳北方で東西に伸びる向山丘陵上には、近内古墳群最大で、奈良県でも有数の大型円墳である近内鑵子塚古墳【五世紀初頭】、その東方に円墳の丸山古墳【五世紀前半】、方墳の西山古墳【五世紀後半?】が並びます。それらの古墳は「宇智斜向道路」から距離がありますが、特に向山丘陵東端にある丸山古墳や西山古墳は離れています。向山丘陵東端部に接するように、もう一つの紀ノ川~奈良盆地ルートである「紀路」( 重阪峠、巨勢谷経由) の推定ラインが想定されていますので、近内古墳群はこの2本の紀ノ川~奈良盆地ルートに挟まれた場所に形成されたと言えるかもしれません。また、それらの古墳の配置状況をみると、紀ノ川から奈良盆地を目指した人たちよりも、奈良盆地から紀ノ川へ向かう人たちを意識したものだと言えるでしょう。この点は、実際に現地を歩いて確認してみてください。なお、南郷遺跡群も奈良盆地の人の目を意識した配置でありましたので、五世紀代の葛城地域と宇智地域の開発の方向性は似ていると言えるでしょう。近内古墳群の造営順序としては、「宇智斜向道路」から「紀路」へ向けて、大墓古墳→近内鑵子塚古墳→丸山古墳と造営され、その後「宇智斜向道路」沿いに塚山古墳、五條猫塚古墳が、そしてまた「紀路」と「宇智斜向道路」沿いに西山古墳、つじの山古墳が造営されたのを最後に、五世紀末以降は大型古墳は造営されなくなったようです。造営順序から想像をたくましくすると、当初は「宇智斜向道路」、「紀路」の双方を意識した配置から、「宇智斜向道路」に集約する配置にシフトしたと言えるかもしれません。すると、宇智地域集団は、徐々に葛城地域との関係性を強めていき、そのために共倒れになったのかもしれません」

                             (会報より抜粋して編集)

集合 JR北宇智駅

秋晴れの下、95名の会員さんが集まりました

コロナ感染対策もバッチリで さあ出発!

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居傳瓜山瓦窯(いてうりやま)

居伝町北側の丘陵裾で発見された飛鳥時代の瓦窯

高速道路の橋脚の下に瓦窯があった

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北宇智駅から塚山古墳に向う途中の「居傳瓜山瓦窯跡」の説明板

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塚山古墳

葺石を施した1辺24㍍の方墳です。近内古墳群の最北端に位置する古墳で、古墳群の中心からはやや離れています。1956年に奈良県立橿原考古学研究所が発掘調査を実施しています( 奈良県教育委員会1957)。埋葬施設は、紀ノ川流域の結晶片岩製の箱式石棺を直に埋めたものです。その石棺内には枕がしつらえてあり、そこに頭を乗せるかたちで、ほぼ全身骨格が残った人骨が出土しました。人骨の傍らからは、直弧文入り鹿角装の鉄剣2振、鹿角装刀子1点が出土しました。また、石棺内の小口には副室があり、鉄製の武器・武具、農工具類が出土しました。内訳は、甲冑一式、鏃1塊、刀子2点、蕨手刀子1点、斧1点、「新羅斧」とよばれる枘穴入り斧1点、鎌1点、鑿十17点、鉇2点、砥石1点、櫛1点になります。さらに、棺外からは鉄刀1振、鉄槍2振、鉄製釣針3点、土錘二22点、砥石1点、鉄鏃数点などが出土しました。被葬者像としては、衝角付冑を被り、三角板鋲留式短甲を装着し、腰に鹿角装の剣を提げた武人的性格の人物でしょうか?釣針や土錘などの漁撈具も出土していますが、内陸部という古墳の立地からすると、単に水産物の掌握だけではなく、水上交通の掌握も意味していたのでしょう。(会報より)

周囲の農地に防猪ケーブルが廻るため墳丘登坂不可

何年か前は墳丘に登ると、結晶片岩製の石棺の青い石が見えたそう

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つじの山古墳

現状では1辺五52㍍の二段築成の方墳で、葺石を伴うようです。1974年に奈良県立橿原考古学研究所が、1998~2000年に五條市教育委員会が周濠部分を発掘調査しており、墳丘東側で長さ5.5㍍、幅20㍍の造り出しを確認しました( 奈良県立橿原考古学研究所1976など)。周濠は、上部で幅が9㍍で、両側に葺石を施していました。濠の中からは、円筒埴輪( 須恵質を含む)、ヒレ付き円筒埴輪、朝顔形埴輪、石見型木製品、土師器、須恵器などが出土しました。なお、須恵質円筒埴、レ付き円筒埴輪、朝顔形埴輪、土師器高坏については、五條文化博物館の常設展示で見られます。ヒレ付き円筒埴輪は、五條猫塚古墳や陵山古墳( 和歌山県) など紀ノ川流域で類品がみられるようです。また、石見型木製品は、奈良盆地では五~六世紀代の古墳でみかける遺物ですが、五條市域では唯一の貴重な出土例です。(会報より)

私有地にあるので、東側里道で先生の説明を聴く

この「つじの山古墳」は『宇智斜向道路』沿いにあり、最後に見学する「西山古墳」は『紀路』沿いにあるので、この東西に並ぶ大型方墳は奈良盆地から紀ノ川流域に行く人を迎えるツインゲートだと言う説もあるそうで「なるほど」と頷く

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三角形の造り出しを持つ希少な古墳

10月の初旬に下見で訪れた時は、古墳の周りを囲むようにコスモスが咲いていた

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藤岡家住宅

江戸時代の庄屋、特に売薬で財を成したそう

長年空き家になっていたが、平成20年から「NPO法人うちのの館」が管理・運営

この先、博物館までトイレがないので使わせて頂く

皆一安心!

白壁に紅葉がとても映える

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母屋や蔵等、10棟が平成18年に登録有形文化財に

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御霊神社

五條市に22社あるうちの一社

五條に幽閉され非業の死とげた井上皇后と他戸親王親子の死を悼む

右は金剛山登山道

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大峯山系遠望

地福寺

大銀杏が鐘楼を追い抜きそう

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-金剛山を望む長い登り道

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大峯山系

振り返ると大峯山系がきれいに見える

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北山大橋

あの橋まで随分あるけど、目指す博物館は橋を渡ると見えてくる

橋の下を覗くと深い谷! 足がすくみそう

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五條文化博物館

安藤忠雄さん設計の建物

円筒形の形から、公募で「ごじょうばうむ」の愛称が

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常設展示室 密を避け交代で見学

この日は「関西文化の日」で入館は無料

これから訪問する猫塚古墳の出土遺物

右奥に見える冑は「蒙古鉢形眉庇付冑」のレプリカ

本物は奈良国立博物館に所蔵

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五條猫塚古墳

奈良県立橿原考古学研究所が、1957年に墳頂の発掘調査(奈良県立橿原考古学研究所1962)1990年に墳丘の測量調査( 同1991)、五條市教育委員会が2014~2017年に範囲確認調査( 五條市教育委員会2018) を実施しています。また、奈良県から1957年の出土品を移管された奈良国立博物館が全面的な再整理を実施し、様々なことがわかりました( 奈良国立博物館2015)。墳丘は、一辺約30㍍の葺石をもつ二段築成の方墳です。周囲には底面での幅が2.5~7㍍以上の濠がめぐります。墳頂には方形円筒埴輪列が廻り、中央には結晶片岩の板石で構築された竪穴式石室があります。石室内からは埴製枕が出土し木棺があったようですが、割竹形でも釘付けの箱式でもないようです。また、石室の内外からは、様々な遺物が出土しました。なお、石室上には、原位置は不明ですが、家形埴輪、囲形埴輪、槽付木樋形土製品が出土しており、居館や導水施設を表現した可能性があり、近隣では葛城地域の室宮山古墳との関係性が注目されます。

副葬品の内容は石室内からは、珠文鏡、鋲留めの眉庇付冑、三角板革綴短甲、鉄鏃、鉄鉾など、石室外からは、鋲留めの蒙古鉢形眉庇付冑、小札甲、龍文透彫帯金具、盛矢具、鉄鏃、ミニチュア農工具、漁撈具、鋸などの工具、鍛冶具、砥石などが出土しました。遺物の詳細な分析から、韓半島とのつながりは、帯金具、鉄鏃、鍛冶具などは新羅地域、提砥石は大伽耶地域との関係が想定できるそうです。(会報より編集)

先生の説明を聞く

五條猫塚古墳は北内古墳群の中で視界の利かない場所にあるので、

あえて渡来系集団を奥まった場所に押し込んだのではないかと

五條猫塚古墳の説明板

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墳丘に登って、この古墳が向山丘陵と荒坂峠のある丘陵に

挟まれた谷の中央にあることがわかる

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墳丘から景色を眺める。

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堂城山古墳

猫塚の南側丘陵に堂城山古墳

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宇智鑵子塚古墳

直径85㍍の奈良県有数の大型円墳です。葺石をもつ二段築成の墳丘をもち、一段目テラスは広くて現在は墓地に使われています。基本的に木々が生い茂っていますので、周囲の視界はききません。墳頂には盗掘坑があり、周辺からは勾玉、埴輪片( 円筒、朝顔、家形、囲形、蓋形などがあり、五條文化博物館の常設展示では、有黒斑で円形スカシをあけた円筒埴輪を2点見学しました)、結晶片岩の箱式石棺材などが出土したようです。墳丘の東西には、丘陵から切断するように濠がめぐっています。時期は、5世紀初頭が想定されます。 (会報より)

北から墳丘

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墳丘裾で先生の説明を聴く

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東から墳丘

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丸山古墳

直径37㍍の二段築成の円墳で、周囲には濠と堤がめぐるようです。

須恵器や埴輪片が採集されており、五世紀前半代の年代が考えられます。

木々が生い茂り、鬱蒼としていて古墳の状況をうかがい知ることはできない

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西山古墳

測量調査成果によると、一辺54㍍の二段築成の方墳で、周囲には濠がめぐるようです。墳頂、テラス、墳裾には円筒埴輪列がめぐり、墳丘斜面には葺石が見られるようです。また、テラスや古墳の周囲から結晶片岩の板石が散見されますので、埋葬施設には箱式石棺が用いられた可能性があります。(会報より)

南から墳丘

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東から墳丘

墳丘を見ながら、1キロ先の北宇智駅に向かう

宇智駅に着いてJR和歌山線が倒木で不通とのアナウンス。

復旧までに2時間くらいかかり、代替バスが運行されたようですが、皆さん無事に帰られたとおもいます。