2020年9月例会「東大阪の遺跡をめぐる ―山畑古墳群を中心に―」
案内:平井洸史氏(企画学芸部企画課技師)
日時:9月20日(日)午前10時
集合:近鉄奈良線瓢箪山駅南口広場
行程:瓢箪山古墳(見学)→市尻遺跡・繩手遺跡(通過)→東大阪市埋蔵文化財センター(wc)→六万寺古墳群→二本松古墳(見学)→高塚古墳・五里山古墳(遠望)→らくらくセンターハウス(昼食)→山畑古墳群→山畑2号墳(見学)→東大阪郷土博物館(wc)→山畑22号墳(見学)→山畑21号墳(見学)→河内寺跡→皿池遺跡(遠望)→平岡神社
大阪府東部に位置する金剛・生駒山地西麓にはたくさんの群集墳が築造されています。東大阪市の山畑古墳群、八尾市の高安古墳群、柏原市の平尾山古墳群、河南町・太子町の一須賀古墳群は河内の四大群集墳と呼ばれています。今回はその4大群集墳の一つである山畑古墳群が存在する地域を中心に歩きます。近鉄瓢箪山駅の南東、標高15~150mの山裾から山麓にかけて、東西1.5km 南北0.4kmの範囲に山畑古墳群が分布し、これまでに68基の古墳が確認されています。平野部には古墳時代中期~後期にかけての集落遺跡が分布していて、馬具や製塩土器が出土しています。山畑古墳群築造の時期は少し後になりますが、これらの古墳から集落遺跡と共通の生産関連遺物が出土していて、両者の関係性が注目されています。飛鳥時代に創建された寺院跡も存在し、古墳時代から古代へのつながりを考えるうえでも興味深い地域です。
先ず群内では最古の瓢箪山古墳から出発します。ここから東高野街道を少し南下し、住宅地を抜けると高台に今は公園の一部になっている六万寺古墳群です。南に開口した石室の入り口が見えています。さらに登って行くと眼下に大阪平野が広がり景色は最高です。そして少し歩くと山畑古墳群に到着です。色々な形をした古墳があちらこちらに。なぜこんなにもたくさんの古墳がこの場所に築かれたのか。被葬者集団はどのような人たちだったのだろうか。歴史に名も残さない被葬者たちに思いを馳せながら、群集墳について考えてみたいと思います。
近鉄奈良線 瓢箪山駅で受付
瓢箪山古墳(52号墳)
瓢箪山稲荷神社の境内にある古墳です。山畑古墳群に含まれていますが最も標高の低い位置にあって、古墳が多いエリアからはかなり離れています。「ひょうたん」と名のつくように二つの円丘を繋げたような形の古墳で全長約50m、墳丘高3.5mを測り、北側を狐塚、南側を鬼塚と呼ばれています。埋葬施設は本殿の北側の石段を登った所と、墳丘の南端にそれぞれ横穴式石室が存在しますが、神社の記録では拝殿の下方にもう1基の石室が記載されていて、3基の横穴式石室が存在する可能性があります。築造時期は北側墳丘の石室構造から古墳時代後期中頃(6世紀中頃)と考えられ、山畑古墳群では最古相の古墳で、群内で最大の双円墳とされています。発掘調査で双円墳と確認されたわけではありませんが、周辺に鬼塚古墳、夫婦塚古墳、山畑22号墳などの双円墳があり地域的に双円墳が分布している可能性があります。
瓢箪山古墳での平井先生の説明(瓢箪山稲荷神社境内)
コロナウイルス感染防止のため30人が一組となっての見学。
フエンス越しに古墳の形状を見る。
瓢箪山古墳墳丘
墳丘に石室石材が顔を出す。
東大阪市立埋蔵文化財センターでの平井先生の挨拶
ここで三組に分かれていた会員さんが集合し、この辺りに縄文時代の集落があった
ことの説明を聞く。
二本松古墳(六万寺2号墳)
六万寺古墳群に存在する全長12.7mの大型の石室をもつ方墳。
調査で仏教との関わりの深い「格狭間」を施した棺台とみられる石材が見つかっています。
二本松古墳墳丘
二本松古墳石室を見学
頭を打たないように小さく丸まって入る。
二本松古墳石室
両袖式の石室内は思ったより広く、玄室までの羨道が長い。
「ここに家族が追葬されたのかな?」と被葬者に思いを巡らす。
高塚古墳(六万寺1号墳)
老人ホームの敷地内にある径22mの円墳。
高塚古墳を通過
高塚古墳かららくらくセンターへ向かう山道で上町台地上の大阪市街を展望。
足元に五里山3号墳が見える。(冬季に撮影)
山道の斜面に五里山2号墳の開口部が見える。(冬季に撮影)
らくらくセンターハウス前で昼食
眼下に「花園ラグビー場」や「あべのハルカス」が小さく見える。
太古の昔、生駒山の西麓は河内湖の沿岸で今とは違う景色が!
らくらくセンターハウス前で説明を聞く
山畑2号墳
山畑古墳群の中でも新しい時期の古墳で、墳形が上円下方墳とされていますが発掘調査で確認されたものではありません。石室は全長16.6mを測り、市内では最大規模の横穴式石室です。
山畑2号墳への登り道。
山畑2号墳石室開口部。
ここまで登ってくるのは大変だったけれど、石室内を見学できて大満足!
隣の小高い丘に登ると方墳と確認できるそう。
山畑2号墳石室。
ウイリアム・ガウランドはこの古墳の踏査にきっと来ているだろう。
郷土博物館へ到着。
団体の見学は出来ないので入り口で休憩。熱中症にならないように冷たい飲み物を補給。
山畑22号墳
博物館の駐車場北側にある古墳。数少ない双円墳の一つとされながら、東側の墳丘が消滅したので
確定は出来ていません。西側石室内から出土した人物や動物の小像のついた装飾付須恵器は新羅地域との関連が指摘される遺物とされ、どこでも見られるものではないそうです。また注目すべき出土品として製塩土器があります。市尻遺跡や繩手遺跡でも馬の骨や製塩土器が出土していて、馬を飼育していたことが想定されています。
山畑22号墳石室。
山畑22号墳墳丘
山畑22号墳で説明を聞く。
山畑39号墳
博物館の敷地内にある古墳。
墳丘は全く無く石室が露出しています。
山畑21号墳
博物館の前の道を東に200m奥にある古墳。径15mの円墳で右片袖式の横穴式石室。
羨道部の一部が破壊されて短くなっていますが、石室の構造がよくわかります。
山畑21号墳を順に見学
山畑21号墳石室
山畑21号墳開口部背後(北側)の墳丘
残存状態良好
河内廃寺
発掘調査で金堂・講堂・回廊の遺構が検出されています。塔の遺構は確認されていませんが
四天王寺式の伽藍配置が推測されています。創建時は出土した瓦から飛鳥時代後半とされ
鎌倉時代末期ごろに廃絶したと考えられています。
河内廃寺で平井先生の説明を聴きながら見学
河内廃寺
枚岡神社に到着
「お笑い神事」で有名な神社。
この神事は年末の風物詩になりました。
枚岡神社で平井先生の最後の説明を聴き解散
コロナの終息を祈願して、皆さん無事帰路に着きました。