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2019年11月例会「物部氏の首長墳巡検(南部編)」
日時:令和元年11月17日(日)
案内:小栗明彦 先生
行程:天理駅→西山古墳→塚穴山古墳→峯塚古墳→東乗鞍古墳→西乗鞍古墳→小墓古墳→焼戸山古墳→天理市役所モアイ像前(解散)

天理駅前

 天理駅前集合。

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 小栗先生の解説

「布留遺跡の南縁に分布する首長墳は大きく2群に分かれます。一つは杣之内川以南の低丘陵上に分布するもの、もう一つは杣之内川以北の低丘陵上に分布するものです。仮に前者を「杣之内南部グループ」、後者を「杣之内北部グループ」と呼んでおきます。首長墳の変遷は次のようになります。

 杣之内南部グループでは、西乗鞍古墳(5世紀第Ⅳ四半期)→小墓古墳(6世紀第Ⅰ四半期)→焼戸山古墳(6世紀第Ⅱ四半期)→東乗鞍古墳(6世紀中頃)となります。

 杣之内北部グループでは、塚穴山古墳(7世紀第Ⅰ四半期)→峯塚古墳(7世紀第Ⅱ四半期)となります。

 このように、杣之内南部グループの首長墳と杣之内北部グループの首長墳は、築造時期的に連続するものではありませんので、両グループが同じ系譜に属する首長の墓とは考えられません。また布留遺跡北縁の別所・豊田グループと石上・岩屋グループの首長墳を併せて考えるときには、さらに複雑な様相を呈することとなります。」

 天理大学を西山古墳へ向かう。

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西山古墳

築造時期は4世紀前半であり、物部氏とは無関係。

 三段築成の前方後方墳で、一段目は前方後方形に、二段目、三段目が前方後円形に造られた特異な墳丘をもつ。墳丘の周囲には一段低くなった周濠の痕跡がめぐる。

後方部の一辺は93m、墳丘長は185mを測り、前方後方墳としては全国で最大。

埋葬主体部は竪穴式石室と考えられる。

前方後円墳と前方後方墳という違いはあるものの、桜井茶臼山古墳と類似。規模がほぼ同じで、前方部の外形など二段目より上の段の形状がほぼ共通。両古墳は同じ設計図に基づいて築造された可能性が高い。

 出土遺物は、後方部から鏡片2点、碧玉製鏃片2点、管玉(数量不明)、鉄剣片1点、鉄刀片若干と鉄鏃が、前方部南側の周濠から碧玉製車輪石片1点が出土したと伝えられる。墳丘では円筒埴輪、鰭付円筒埴輪、家形埴輪の破片が採集されており、北側の外堤上では、石棺墓や埴輪棺墓などが見つかっている。

西山古墳後方部で説明を聞く。

雑草が伸びて墳丘には入れない。

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北から西山古墳墳丘。左が後方部。

手前の天理大学馬場が周濠。

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塚穴山古墳

墳丘径63.4mの大円墳。濠底幅9.5mの周濠とさらに外堤を備え、外堤外周の直径は118m。

外堤の一部は西山古墳の外堤の上に乗るようにして、重複。

横穴式石室は巨大な花崗岩を積み上げた大型のもので、全長17.1m、玄室長7.0m、玄室幅2.9~3.2m、残存高約4m。石室の奥壁は二段積み、玄室側石は二段ないし三段積み。

周濠底から横穴式石室奥壁まで約6.5m、築造当初の墳丘高は8m以上あったと考えられる。

玄室床面には70~80㎝大の平たい石が敷き詰められ、入り口には幅2.4mの巨大な石が配置。羨道は長さ10m、幅2.1~2.2m、床面は玄室より30㎝低く、全面に礫が敷き詰められている。玄室床面の周囲には幅20㎝、深さ30㎝の排水溝がめぐり、玄門部分で集結して暗渠化し、羨道中央を縦貫して周濠まで達している。

横穴式石室は、規模や巨石の積み方など石舞台古墳の石室と共通点が多く見られ、特に側壁の石と石の隙間の上部に逆三角形の小型の石を落とし込んで充填する手法はよく似ている。

 築造時期は、周濠から出土した須恵器がTK209型式であること、横穴式石室の型式が石舞台式であることから見て、7世紀第Ⅰ四半期と考えられる。

塚穴山古墳の外堤と周濠

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塚穴山古墳石室(南から)

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塚穴山古墳石室(北から)。

逆三角に積まれた石が見える。

紅葉のトンネルを抜けて峯塚古墳へ向かう

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周辺に古墳が点在。保昌塚古墳の横を通過。

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峯塚古墳の西に石上神宮宮司を務める森家(布留社東宗家物部連)の墓がある。

峯塚古墳

山寄せ式の終末期古墳。墳丘は三段築成の円墳で、直径35.5m、高さ8.5m。

背面には、周濠の痕跡が認められ、東、西、南側には、背面の周濠底から続くようなテラスが形成されているように見える。

墳丘には2種類の葺石が見られる。中段、下段の斜面には5㎝程度の円礫が用いられ、上段斜面には、天理砂岩と呼ばれる凝灰質砂岩で一辺10~30㎝、厚さ10㎝弱の切石にされたものが貼り付けられている。

 埋葬主体部は、花崗岩の巨大な切石を用いて造られた両袖式の横穴式石室で、残存状況が非常に良好。玄室長4.5m、玄室幅2.6m、玄室高2.4m、羨道長6.7m、羨道幅1.9~2.3m、羨道高1.7m。玄室は奥壁、側壁とも二段積みで、側壁は基本的に上下段とも二石で西側壁の上段は一石。

 石室の岩屋山式で塚穴山古墳の石室のような石舞台式よりも後出する。造営された年代は、早くは7世紀初頭から、遅くは第Ⅲ四半期まであり、意見が分かれる。

峯塚古墳は、石舞台式の石室をもつ塚穴山古墳の一世代後、7世紀第Ⅱ四半期に造られた首長墳と考えておくのが妥当。

峯塚古墳への入り口

竹に覆われた墳丘。切り石と思われるものも見受けられる。

順番に石室に入る。

きれいにそろった石室の石。

天理大学ホッケー場で昼食休憩。

東乗鞍古墳

 6世紀中頃築造の西向の前方後円墳。後円部径44m、墳丘長72m、墳丘高約10m。

二段築成で、後円部に南へ開口する横穴式石室が造られている。

前方部前面には、幅約10m、深さ1.5~2mの周濠がめぐる。

これまで埴輪をもたない古墳と見られてきましたが、昨年2月と今年2月に、前方部前面の墳丘斜面で円筒埴輪片が複数みつかった。

 後円部の横穴式石室は、入り口から見て左側にのみ袖がある片袖式。現状で玄室長約5.7m、玄室幅約2.4m、玄室高約3.3m、羨道長4.6m以上、羨道幅約1.7m、羨道高約1.5m。玄室内には石棺が二基置かれている。

奥の棺は馬門石(阿蘇溶結凝灰岩)製の刳り抜き式家形石棺。手前の棺は二上山産凝灰岩製の組み合わせ式石棺。現在は底石の一枚しか残存していない。1893(明治26)の『大和国古墳墓取調書』には、組み合わせ式の棺蓋2枚が側壁に立てかけられている様子が描かれている。

 挂甲の小札や馬具の杏葉が出土したと伝えられており、現在、橿原考古学研究所附属博物館には東乗鞍古墳出土と記された馬具や鉄製品が収蔵されている。

東乗鞍古墳墳丘南東で解説を聞く

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東乗鞍古墳墳丘へ向かう。-

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東乗鞍古墳 石室への登り道

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東乗鞍古墳 石室を覗く。

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東乗鞍古墳 石室

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東乗鞍古墳前方部から後円部

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東乗鞍古墳 後円部盗掘跡

『大和国古墳墓取調書』墳丘図

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『大和国古墳墓取調書』石室図

家形石棺と組み合わせ式の棺蓋2枚が側壁に立てかけられている。

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西乗鞍古墳

5世紀第Ⅳ四半期築造の南向の二段築成の前方後円墳で、西側のくびれ部には造り出しがつく。

後円部径約70m、墳丘長118m、墳丘高20m。

墳丘の周囲の周濠底幅が約11m、外堤幅が約17m。

葺石は上段の墳丘のみで、下段の墳丘には無かった可能性が高い。

 墳丘裾から周濠にかけての堆積土から、TK47型式の須恵器や土師器のほか、円筒、朝顔形、蓋、家、石見型、人物などの埴輪が出土。

 埋葬施設については、初期の横穴式石室の可能性が考えられ、後円部墳頂でおこなわれた物理探査では、墳頂中央付近から東に向かって伸びる平面長方形の異常応答が確認されている。

 杣之内南部グループで最初に造営された首長墳と言える。

西側周濠から墳丘を望む。

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墳丘上で説明を聞く。

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西側から墳丘全景。

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小墓古墳

 西乗鞍古墳の北西にある6世紀第Ⅰ四半期築造の南西向きの前方後円墳。

墳丘測量図からは、墳丘は二段に築成され、北西側のくびれ部に造り出しが付いているように見る。

 水道局拡張工事で周濠の堆積土から、須恵器や土師器のほか、円筒、朝顔形、家、蓋、靫、盾、甲冑、水鳥、鶏、馬、猪、人物などの多種多量の埴輪が出土。

笠形、盾形、石見型、さしば形、大刀形、鉾形などの木製立物や、槽、槌、火切臼、耳杯形などの木製品も多く出土。

 墳丘規模は後円部径約55m、墳丘長約85m程度。

 西乗鞍古墳の次世代の首長墳と言える。

南側から小墓古墳墳丘。

西側から小墓古墳墳丘。

焼戸山古墳

 小墓古墳の約100m北にある。1960年代までは幅40m前後、長さ70m前後の、前方後円墳らしき墳丘が残っていた。出土した遺物も皆無。

年代的根拠に欠けますが、小墓古墳の次世代の首長墳である東乗鞍古墳が、時間的に空くことや、焼戸山古墳の主軸方向が小墓古墳と同じであって、小墓古墳に隣接して立地することから見て、6世紀第Ⅱ四半期に築造された古墳と考えた。

南から見る焼戸山古墳。古墳のようには見えない。

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北から見る焼戸山古墳。

なんとなく前方後円墳に見える。

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モアイ像

チリから贈られた天理市役所モアイ像前で解散。モアイ像は、現在は持ち出しが禁止されている。

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周辺は紅葉の真っ盛り。

塚穴山の被葬者については来年の講演会でお話しいただけるかも?

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