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案 内:木下 亘副館長
日 時: 7月17日(日)9時30分
集 合:JR阪和線久米田駅
行程:JR久米田駅→久米田古墳群→久米田寺→久米田池→摩湯山古墳→観音寺(昼食)→稲荷山古墳→玉塚古墳→狐塚古墳→丸笠山古墳→JR阪和線信太山駅

 大阪府岸和田市と和泉市にかけて分布する古墳(群)を見学。

JR久米田駅集合

久米田古墳群は現在でも10基の古墳を確認できる。岸和田市教育委員会によって平成4年から9年に掛けて発掘調査が行われた。従来、岸和田市域の首長墓は摩湯山古墳を端緒とし、その後、久米田貝吹山古墳そして風吹山古墳へと変遷するものと考えられてきたが、久米田古墳群に対する一連の発掘調査によって、久米田貝吹山古墳→摩湯山古墳→風吹山古墳へと順に築造されたものと考えられるようになった。

貝吹山古墳

 貝吹山古墳は、標高35~40m前後を測る久米田丘陵北東端部に当たる小丘陵を利用して築かれた4世紀後半築造の前方後円墳。

全長約130m、後円部は3段築成で直径75m。第2段平坦面には埴輪列が確認され、2段目斜面の一部に葺石を確認。各斜面に葺石が施されていたと考えられる。

 平成8年、後円部墳頂調査で、長さ約8.5m、幅約5.5mの大規模な盗掘坑が検出され、盗掘時に断片化していたが、銅鏡(恐らく画文帯同向式神獣鏡)1、管玉49、ガラス玉1、鍬形石2、車輪石5、石釧1、等と供に鉄製の刀、剣、ヤリ、鉄鏃、銅鏃、小札革綴冑、鉄斧柄付手斧、刀子等が出土。また、石棺片と考えられる白色凝灰岩が多数出土し竪穴式石室に石棺を安置する構造であることが判明。

貝吹山後円部

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貝吹山古墳 後円部より前方部を望む

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貝吹山古墳 前方部より後円部を望む

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無名塚古墳を経て風吹山古墳へ向かう

風吹山古墳

 風吹山古墳は、4世紀末から5世紀初頭に築造された帆立貝式古墳。後円部は3段築成でテラスには埴輪列と柱列を立て並べ、墳丘斜面には葺石を施されていた。墳丘規模は、全長約71m、後円部径約59m、前方部幅約30m、馬蹄形の周濠を備える。周濠を含めた全長は、約87mと貝吹山古墳に次ぐ規模。

 墳頂部には南北2基の埋葬施設が確認されている。長軸を東西方向に取る。

南側に造られた第一主体部は、粘土槨であるが残存状況は極めて悪いもので、西側の粘土床部分のみが検出され、粘土床上面が丸味を持っている事から割竹形木棺が納められていたと考えられている。

副葬品は棺内と棺外に分けて納められており、棺外西側小口部からは、一組の衝角付冑と長方板革綴短甲が出土。棺内の遺物としては、その痕跡から刀と剣が納められていたと思われる。

 北側に造られた第2主体部は、2段に掘り込まれた墓壙内に組合せ式箱形木棺を設置したものと考えられ、木棺の規模は、現存長405㎝西端幅62㎝。

 副葬品には直径15.3㎝を測る銅鏡(画文帯同向式神獣鏡)勾玉(翡翠・碧玉・ガラス)、管玉(緑色凝灰岩)、棗玉(ガラス)、ガラス玉、銀製空玉、鉄製刀剣、鉄製農工具等、多数の遺物が出土。

 墳丘からは樹立された状態で、多くの円筒埴輪が出土。円筒埴輪を見ると、タガは三段に、透かしは円形。他に形象埴輪として、蓋、盾、家等の破片が確認されています。

風吹山古墳墳丘を登る。

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風吹山古墳前方部を望む

女郎塚古墳

 風吹山古墳の南方30m余り、久米田中学校内に位置する直径約28mの円墳。

墳丘は二段築成、墳丘の周囲には周濠を巡らしている。平成14年にトレンチ調査が行われ、円筒埴輪列が確認されている。

女郎塚古墳墳丘

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女郎塚古墳墳丘で説明を聞く。

墳丘でバレーボール練習中の生徒の皆さん、お邪魔しました。

持ノ木古墳

 梅原末治氏の記録によって、その存在が推測されていた古墳で、無名塚古墳に隣接して築かれていたが、現在は削平されている。

試掘調査の結果、周濠の一部が検出された。墳丘規模は一辺12mの方墳で、埋葬施設は残っていない。周濠は、幅1.5mから2m、深さは平均20㎝から30㎝程度。周濠内部からは多量の埴輪片が出土。円筒埴輪と共に朝顔形埴輪が含まれていて、円筒埴輪は口径38㎝前後。

 また、土師器と蓋、蓋杯、有蓋高杯、把手付短頸壺、脚台付有蓋短頸壺、筒型器台、鉢形器台、壺、異形土器等様々な須恵器が確認されている。

 持ノ木古墳から発見された須恵器は、全て初期須恵器の範疇で捉えられる資料群で、韓半島南部伽耶地域の陶質土器の可能性も考え得るもの。

 類似する資料は、韓半島南部の洛東江下流域の大成洞古墳群や釜山福泉洞古墳群などに見られ、国内では陶邑TG231・232窯と共に最古形式。須恵器であるのか陶質土器であるのかその識別は難しいですが、時期的には5世紀初頭に位置付けられる。

 この様に、久米田古墳群は古墳時代前期から中期にかけて築造された古墳群と言えるでしょう。

陶邑出土品を展示している堺市立泉北すえむら資料館は9月末で閉館。興味のある方は是非見学いただきたい。泉北高速鉄道「泉ヶ丘」駅より800m。

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持ノ木古墳跡

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持ノ木古墳跡で説明を聞く。

志阿弥法師塚古墳 

貝吹山古墳の西側約100mにある小規模な円墳。墳丘は削られているが直径16m程度。嘗て、車輪石、石釧が出土。(今回は訪問せず)

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久米田寺へ向かう。

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久米田寺境内にある光明塚古墳

久米田寺と久米田池

 久米田古墳群に隣接して久米田寺がある。

 久米田寺は、高野山真言宗の寺院で、山号は龍臥山、行基が開削を指導したとされる溜池の久米田池を維持管理するため天平10年(738年)、創建されたと伝えられている。

 この寺の東側に広がる久米田池は、14年の歳月を掛けて築かれた、広さ45.6ha 、周囲2.6㎞を測る府下最大の溜池。

久米田寺金堂と塔

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久米田寺山門

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久米田池

摩湯山古墳

 摩湯山古墳は、久米田古墳群からほぼ東に直線距離で約2㎞強、岸和田市摩湯町に所在する古墳で、泉州を代表する大型の前期前方後円墳。

 全長約200m、後円部径約127m、前方部幅約100m。丘陵の先端部を利用し削り出す。墳丘周囲には周濠が巡り、墳丘両くびれ部には造り出しがある墳丘には葺石と共に埴輪の樹立が知られています。

 内部主体部は未確認。墳頂部に散在する板石から竪穴式石室の可能性が高い。

 鰭付きの円筒埴輪、家形、蓋形と言った形象埴輪類出土し、墳丘には土師器高杯が散布していると言われている。

摩湯山古墳が見えてくる。

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岸和田市教育委員会瀬尾氏の出迎えを受け、北側の陸橋から墳丘に入る。

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陸橋で解説を聞く。

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急な摩湯山古墳墳丘を登る。

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後円部で解説を聞く。

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後円部から前方部を望む。木々で遮られ前方部見えず。

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陸橋から前方部を望む。

稲荷山古墳

 摩湯山古墳の北側約250m、住宅地の中に取り残された様に残る円墳がある。稲荷山古古墳は復元径18m余りで、2段築成で埴輪が立てられていた事が判っている。

赤田山観音寺(和泉市)

 摩湯山古墳を後にして、和泉市観音寺に向い此処で遅い昼食・休憩を取り、和泉市内の古墳見学に向かう。

和泉市信太山古墳群

信太山の丘陵地帯南西部には、昭和30年代迄には85基と言う多くの古墳が確認されていました。然し乍ら、現在ではその多くが消滅してしまっている。

 今回見学するのは、幸いにして今迄残されてきた古墳で、古墳群の中では大型の部類と言える。大部分の古墳は円墳と考えられるもので、その規模も直径が10~20m程度の小規模なものを中心。この信太千塚古墳群は、堺市に所在する陶器千塚古墳群と共に、泉州地域の代表的な古墳群。

黒鳥山公園へ向かう。

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和泉市教育委員会の出迎えを受け解説を聞く。

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玉塚古墳

  玉塚古墳(写真中央の森)は信太山丘陵を西南に下った地点に立地する直径約46m、高さ6mの大型の帆立貝式古墳。周濠を備え、墳丘には葺石、墳頂部には円筒埴輪の存在が知られる。現在まで調査は行われておらず、内容の詳細は不明。

狐塚古墳

 狐塚古墳は山荘配水池の横にある前方後円墳。墳丘規模は全長56m、後円部径30m、高さ4.5m、前方部幅38m。前方部の幅が広く、古墳時代後期の前半から中頃の築造。

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狐塚古墳前方部から後円部を望む。前方部は削平されており赤線で示されている。

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狐塚古墳後円部。赤線が後円部外形。

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狐塚古墳前方部から後円部。

丸笠山古墳

 墳丘部分に式内社丸笠神社がまつられている事もあって、墳丘の変形が著しいものの、後円部は比較的良く保存されている。調査が行われておらず、詳細不明。

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丸笠山古墳へ向かう

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丸笠山古墳の削平された 前方部。

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丸笠山古墳前方部で説明を聞く。左奥が後円部。

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坂を下って信太山駅で解散。