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磐田市埋蔵文化財センター・遠江国分寺跡→松林山古墳・高根山古墳→新豊院山古墳 浜名湖ロイヤルホテル泊赤門上古墳→二本ヶ谷積石塚群→天白磐座遺跡→姫街道と銅鐸の歴史民俗博物館→蜆塚遺跡

1月18日(土)、19日(日) (台風のため10月26日 (土) 27日 (日) から延期)
磐田市埋蔵文化財センター
26日は磐田市を巡る。
京都からのバスの組とJR磐田駅からの組が合流。

旧石器、縄文石器・土器、弥生時代の石器・土器、古墳時代の鏡、馬鐸 鈴付杏葉・剣菱型杏葉や埴輪が展示されている。
特に特に堂山古墳出土(5世紀)の鞆形埴輪は磐田の古墳文化の象徴として、レプリカは磐田駅前に飾られている。

収蔵庫も見せていただく。
遠江国分寺跡
遠江国分寺は昭和26年に発掘調査がされ、七重塔跡をはじめ主要な伽藍が発見された。 昭和27年に国の特別史跡に指定。

金堂を中心に、北側に講堂が、南側に中門が配置され、金堂と中門には回廊が巡る。 伽藍の範囲は東西180m、南北253m。

国分寺は国府の北方に建立され、北方には国分尼寺が造られた。
七重塔の跡には礎石が残る。
基壇は一辺約18mで塔本塑像と呼ばれる小さな仏像が出土している。
塔跡から西築地塀跡を望む
金堂跡
松林山(しょうりんざん)古墳
磐田原台地の東縁、東側に太田川を望む標高20m付近に立地する、4世紀後半に築造された、全長約107m、後円部径66.5m、後円部高さ10.6m、前方部長さ40.5mの前方後円墳。
前方部2段、後円部3段に築盛で、葺石、埴輪を伴い、幅10~25mの馬蹄形の周濠がめぐる。
写真上 墳丘全体(右が後円部)
写真左 墳丘の北側を削って新幹線が走る。(写真柵の左)
前方部主体部は新幹線工事で消滅。
後円部の中央部には南北に主軸をとる長さ7.9m、幅1.3m~1.05mの竪穴式石室がある。石室の北南から水字貝製釧2点、三角縁神獣鏡1点、内行花紋鏡2点、四獣鏡1点や、勾玉、琴柱形石製品、武器・武具、工具などの副葬品が出土した。
水字貝製釧は東京国立博物館に展示されている。
後円部から新幹線を望む。
高根山(たかねやま)古墳
松林山古墳の南側50mにある前期末か中期の初め(4世紀末から5世紀初め)築造の円墳。
直径58m、高さ7.5mで、墳丘は2段築成。
壺形埴輪、円筒埴輪が出土。
墳丘には天楠神社の社殿が建つ。
北側から眺めた高根山古墳(左の森)。
神明宮境内(右側の森)に小円墳で構成された神明古墳群があり現在5基が残る。
新豊院山古墳群
磐田原洪積台地を北へ。
天竜川と太田川に挟まれた磐田原洪積台地の東縁辺部、新豊院の裏山(写真左の右側山頂付近)にある、弥生時代中期から古墳時代前期の墳墓群。
古墳時代初頭の3号墳から2号墳、1号墳の順に造られ地方における台形古墳から前方後円墳への変遷がわかる。
寺に近づくと足にじゃれ付く人懐っこい猫の出迎えを受ける。
お寺の裏庭から山へ登る
急な坂を尾根を目指す。
現地説明板
新豊院山2号墳
2号墳は丘陵の高所にあり、全長34m、前方部幅11メートルで撥形の前方後円墳で、葺石は見られない。

後円部中央に南北幅5.6m、東西長さ8.1mの墓坑を設け、その中に礫と粘土を交互に積んだ礫粘土室を構築。天井は板で覆う。室内には組み合わせ木棺が納められていたと推測。
棺内から銅鏃、鉄剣、槍先、直刀、舶載三角縁神獣鏡が、墓坑内からは銅鏃、鉄鏃、小型素文鏡が出土。

前方部には長さ2m程度の土坑が3カ所検出しているが未調査。


写真左 前方部から後円部を望む
新豊院山3号墳
3号墳は1辺12メートルの方形台状墓で、四隅に溝を持つ。
中央の東西3.6m、南北2.4mの土坑からは、箱形木棺の痕跡が見つかっている。
棺内から剣、鉇(やりがんな)、鉄鏃が、主体部の真上から古墳時代前期の壺形土器が出土している。
3号墳の南尾根には弥生時代の土壙と土器棺が見つかった。
新豊院山1号墳
1号墳は東向きの全長33mの前方後円墳と推定されるが前方後方墳の可能性もある。葺石や埴輪、周濠は検出されていない。未調査。

写真 後円部から前方部を望む
銚子塚古墳
磐田原台地に西縁に移動。
眼下に天竜川を望む標高93m付近にある南向きの柄鏡形の古墳時代前期の前方後円墳。
全長112m、後円部径63m、高さ9.6m、前方部長さ49m、高さ4.5m。
後円部北西から東、前方部南にかけて幅20mの周濠がめぐる。
明治13年に三角縁神獣鏡が出土し東京国立博物館に所蔵されている。
写真上 後円部と北側周濠
写真左 後円部西側から前方部を望む
前方部を歩く
小銚子塚古墳
東向きの前方後方墳。全長47m、後方部長さ36m、高さ6m、前方部幅25m、高さ3m。前方部北側から東側に幅約10mの周濠がめぐる。

東側周濠から墳丘。
前方部から後方部を望む。
後方部から前方部を望む。
浜名湖ロイヤルホテルで恒例のミニ講座。
西藤館長挨拶と中嶋先生のご紹介に続き
中嶋郁夫先生の「弥生時代から古墳時代への画期 天竜川の東と西」と題し、講演いただく・
遠江狗奴国論など先生の持論を聞き、熱心な質問が続いた。
翌朝は快晴。
ホテル前で集合写真

赤門上古墳
27日は浜松市内を巡る。
赤門上古墳は三方原台地の東縁にある前期末の南向きの前方後円墳。墳丘の長さは56.3m、後円部の直径は36.2m、高さ4.9m、前方部は幅14.7m、高さ1.15m。
後円部に全長5.8mの木棺直葬の主体部があり、京都府の椿井大塚山古墳や奈良県の佐味田宝塚古墳と同范の三角縁神獣鏡、銅鏃30点、剣、直刀、鉄製の斧頭、鉄製の鍬、鉈など金属製品が多数、管玉6個などが出土。
 埋葬施設全体に編粗品が付着しており、遺体や副葬品を覆っていたと思われる。
写真 前方部から後円部を望む
二本ケ谷積石塚群

三方原台地の河岸段丘の2つの谷に分布し、東側に22基、西側に6基が確認された。そのうち東側の6基が保存整備され、赤門川調整池のほとりに「つみいしづか広場」として公開されている。10~40cmほどの丸石を積み上げた一辺5mから9m程度で方墳が多い。副葬品は少ないが、鉄製武器、勾玉などの装飾品類が出土している。渡来人の墓と考えられる。

天白磐座遺跡

渭伊神社境内にある薬師山の頂上に、約40m四方にわたって群在する3つの巨岩中心とした古代祭祀遺跡。
西端の高さ7m最大の磐座Aの西壁下の調査により古墳時代の多量の手捏てづくね土器や鉄鉾や滑石製勾玉などの祭祀に用いられた遺物が出土。
3つ岩の間から、渥美半島製の経筒外容器が和鏡と共に出土している。

正面 磐座Cとその左側から経筒外容器と和鏡が出土
磐座Aとその手前が祭祀遺物出土地
姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館
弥生時代の銅鐸が浜松から24個出土している。
飾り耳のない三遠式銅鐸、飾り耳がついた近畿式銅鐸が展示されている。
昼食場所の奥浜名湖国民宿舎から眺める銅鐸が6個出土した滝峯谷方面
蜆塚遺跡
縄文時代晩期の村の跡で貝や魚、動物の骨、土器のかけらと20数軒の住居跡も検出されている。
浜松市博物館の館長から第1貝塚前で説明を聞く。
貝層の展示を見る
第2貝塚と復元住居
蜆塚古墳群跡。
玉、鏃、馬具、土器などが出土。
浜松市博物館
博物館を見学。
館長の説明を聞く。
蜆塚貝塚出土の人骨
浜松駅経由西大寺方面と京都方面に分かれ帰途に就く