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【エントリー名】 第10回国内遺跡の旅 『讃岐の古代遺跡巡り』 【URLスラッグ】 0905 【短い概要】 案内 渡辺明夫氏(三豊市教育委員会 宗吉かわら里展示館館長 徳島文理大学講師 前香川県埋蔵文化財センター所長)    博物館 北井利幸氏  紫雲出山遺跡→宗吉瓦窯跡→野田院古墳・宮が尾古墳→善通寺郷土館→国民休暇村讃岐五色台(泊)→香川県埋蔵文化財センター・讃岐国府跡・開法寺跡→讃岐国分寺跡・資料館→岩清尾山古墳群→富田茶臼山古墳→さぬき市歴史民俗資料館 【年月日】 2009/05/23 【本文】

紫雲出山遺跡→宗吉瓦窯跡→野田院古墳・宮が尾古墳→善通寺郷土館→国民休暇村讃岐五色台(泊)→香川県埋蔵文化財センター・讃岐国府跡・開法寺跡→讃岐国分寺跡・資料館→岩清尾山古墳群→富田茶臼山古墳→さぬき市歴史民俗資料館

ふれあいパークみの
5月23日新大阪出発8時45分。
奈良交通バス2台に分乗して瀬戸大橋経由で讃岐へ向かう。

「ふれあいパーク みの」で昼食後、今回ご案内いただく渡辺明夫先生のご挨拶。
ここからは、三豊中央観光のマイクロバスに乗り換え。
山道を紫雲出山遺跡に向かう。
遺跡は庄内半島、標高352mの紫雲出山の山頂周辺にある。
(写真矢印 詫間町教育委員会資料より)
 
紫雲出山遺跡
紫雲出山遺跡からの眺め。
紫雲出山遺跡は弥生時代の高地性集落の跡。
土器石器のほか、竪穴式住居、高床式住居跡が見つかっている。
 
宗吉瓦窯跡
宗吉瓦窯跡は、三豊市三野町にある国指定の瓦窯跡。
日本最多の23基の窯跡があり、17号窯の長さ13mは瓦を焼いた窯として日本最長。藤原宮に使われた瓦の生産地としては一番遠い。渡辺先生はここ「宗吉かわら里展示館」の館長をされている。
 
野田院古墳
野田院古墳は、善通寺市にある有岡古墳群の1つ。の大麻山林道沿い、標高400mに作られた全長44.5mの3世紀後半の前方後円墳。特に後円部は石だけを積み上げた積石塚となっている。後円部中央に2つの石室が造られ、ガラス玉、鉄剣、土師器、壷形土器が多数出土。(善通寺市教育委員会より)
 
宮が尾古墳

有岡古墳群の1つで、御館神社周辺の造られた6世紀後半の円墳。長さ9mの両袖式石室の奥壁には葬儀の模様を描いた線刻、羨道には2体の武人の線刻が施されている。となりには2号墳があり、御館神社も古墳の上に建てられている。(善通寺市教育委員会より)


宮が尾古墳
宮が尾古墳壁画が描かれた奥壁
2号墳 奥壁の線刻(古墳前の案内板より)
 
善通寺郷土館

善通寺郷土館には 有岡古墳群から出土した副葬品を中心に約500点の考古資料が展示されている。
写真右は6世紀半ばに造られた王墓古墳から出土した金銅製冠帽で、大和政権が地方豪族に贈ったものといわれる。

 
国民休暇村五色台
国民休暇村五色台で宿泊。
食事前に恒例のミニ講座。
集合写真の拡大
 
 
香川県埋蔵文化財センター
国府跡、開法寺跡に隣接して建つ。時代別に香川県の遺跡遺物を紹介。
 
開法寺跡
香川県坂出市府中町、国府跡に隣接する法起寺式の伽藍配置の古代寺院。菅原道真の詩文集「菅家文章」に詠われており、注に「寺在府衙之西」と記されている。塔心礎が残る。

西側の開法寺池が金堂跡にあたり、鴟尾が見つかった。

 
国府跡
開法寺跡から国府跡付近を眺める。讃岐の国府は現在も場所は確定していない。
讃岐の国府には、菅原道真が国司として赴任しており、若き日の空海(佐伯真魚)もここに学んだ。

写真左奥、白峰山には、保元の乱に敗れてこの地に流された崇徳天皇の白峰御陵と、崇徳天皇を祀った白峰寺ある。
 
讃岐国分寺
東西220m、南北240mの寺域を持ち、塔を回廊内に取り込んだ大官大寺形の伽藍配置。
写真は、現在の国分寺山門から本堂への参道。
本堂は講堂跡に再建されている。
途中に金堂跡、右手に塔跡がある。
塔跡 金堂跡
講堂跡(本堂)裏にある僧坊跡 僧坊復元
伽藍復元
左から中門、塔、金堂(金堂と中門を回廊でつなぎ塔を囲む)
さらに講堂、僧坊と並ぶ
講堂跡(本堂)東にある鐘楼跡
 
石清尾山古墳群
猫塚古墳(写真上は中円部と盗掘穴 写真下は方形部)

古墳時代前期(4世紀前半)築造の全国でも非常に珍しい双方中円墳の積石塚。全長は約96m,高さは約5m。
明治43年(1910年)に鉱山試掘と偽った計画的な大盗掘に会い,中央が大きく変形。中円部にいくつかの竪穴式石室があったと思われるが,大盗掘のために正確な数・位置は不明。ただし,盗掘によるくぼみの一角に竪穴式石室がわずかに残っており,今は保存のために埋め戻している。昭和6年(1931年)に行われた京都帝国大学の調査の報告書には,盗掘の関係者の話などを参考にして,中円部中央に大きな竪穴式石室1基とそれを取りかこむ8基の小さな石室があったと記述されている。

 盗掘の際に中央の石室から鏡5面(中国製のもの4面,日本製のもの1面),小銅剣20前後,石釧1,筒形銅器3,銅鏃9,鉄斧1,鉄剣4,鉄刀1,鉄のみ1,鉄やりがんな1,鉄鏃4,土師器2等が見つかり、東京国立博物館が所蔵。
(高松市教育委員会資料より)
姫塚古墳

4世紀前半、2段築造の前方後円墳墳。積石塚。全長は約43m,高さは約3.6m。
竪穴式石室と思われるが不明。石室から鏡1面,刀片,土器1個が出土したらしいが、詳しいことは不明。積石の間からは土器片,円筒埴輪片がわずかながら見つかっている。 首長の娘の墓であるという伝承から「姫塚」と呼ばれている。 (高松市教育委員会資料より)

石船塚古墳


4世紀後半前方後円墳。積石塚。全長は約57m,高さは約5.5m。後円部は3段,前方部は2段築成。
後円部に刳抜式石棺1基と小竪穴式石室1基、前方部に竪穴式石室1基がある。石棺は後円部の中心にあり、身と蓋が並行に並んでいる、本来は重なっていたもの。棺身の一方には石枕が造り付けられている。
小竪穴式石室は石棺の南西4mのところで発見され、石室は板石を積み上げ、内部には朱が塗られていた。
後円部の小竪穴式石室から鏡1面が出土。積み石の間からは土師器や円筒埴輪の破片が採集されている。
(高松市教育委員会資料より)

鏡塚古墳

4世紀前半の双方中円墳。2段築成積石塚。全長は約70m,高さは約3.6m。
かつて6基の石室があったという説もあるが,現在では不明。
出土品は見つかっていない。

(高松市教育委員会資料より)
 
富田茶臼山古墳
3段築成の5世紀前半の前方後円墳。
全長139m、後円部径91m、前方部長48mで後円部に比べ前方部が短い。 墳丘の高さは後円部項部で標高66.3m、前方部はこれより3m低い。 前方部の幅は77mで後円部径よりも小さい。 葺石は墳丘一段目にはなかったと考えられる。
出土遺物は円筒埴輪が多く、朝顔形、形象埴輪は少ない。土師器、須恵器は少量出土。 3基の陪塚が付随している
(さぬき市教育委員会より)

鳴門明石大橋経由で帰阪。