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三星堆遺、金沙遺跡・船棺葬遺跡、四川省博物館、資陽人博物館、自貢 塩業歴史博物館、重慶市歴史博物館、渚遺跡、渚文化博物館、良渚遺跡、江南水郷文化博物館、跨湖橋遺跡、浙江省博物館、杭州歴史博物館

世界遺跡の旅を終えて
 第六回世界遺跡の旅は、長江流域の古代文化をテーマに、六月五日出発し六月十二日事故もなく、参加者四十六名無事帰着しました。従来黄河流域を中心に語られた中国古代文化に対し、長江流域にもそれに劣らない古代文明が存在した事を確信出来ました。
 四川省では、金沙遺跡、船棺葬遺跡、武候祠、三星堆遺跡、都江堰景区、明蜀王陵、淅江省では良渚遺跡、跨湖橋遺跡などを訪ね、多くの遺跡で現地の先生方の解説を受け、遺跡に対する理解を一層深める事ができました。
 又各地の博物館・大学を訪ね、現地ガイドの説明と共に数多くの遺物を目にする機会に恵まれました。
 淅江省博物館での孫国平先生の、田螺山遺跡の講演は、旅のフイナーレにふさわしいものでした。
 同行して頂いた松田館長に、感謝致しますと共に、国際交流サービスの辻田社長の労を多としたいと思います。
(土田 嘉男)
 
中国古代文明は、黄河流域を中心に発展してきたと考えられ、長江についてはあまり重要視されてこなかった。しかし最近の発掘調査によって、長江流域には様々な遺跡が存在することが確認され、稲作を中心としそこから更に発展した文化が、古くから栄えていたことが分かってきている。
 今回の世界遺跡の旅は、そのような長江の上流と下流の遺跡を訪ね、古代文明を確認するとともに、日本への稲作の伝来についても考える旅となった。
 以下旅の日程と見学地の紹介により、旅の報告としたい。
 
成都
6月5日

関西空港(10:35 発) ― 中国杭州蕭山国際空港(12:10 着)(14:50 発) ― 成都双流国際空港(17:30着)現地時刻に到着。
成都は昔の蜀の国で「蜀犬吠日」の通りいつも曇り空で殆ど太陽を見ない。

5日間一行を古代長江上流文化の地へ案内してくれる観光バス
まずはホテルに無事到着
 
成都金沙遺跡博物館
6月6日

成都金沙遺跡博物館見学(2007年4月16日オープン)
成都平原では、三星堆遺跡を代表とする三星堆文化が栄えたが、その後の十二橋文化に属するのが金沙遺跡である。大量の玉器、象牙、青銅器等の出土があり、忽然と消滅したかにみえた三星堆文化が、確かに継承され古代の蜀文化を形成していたのである。
蒋 成 先生  成都博物院副院長から説明を受ける
屋根に覆われた発掘現場

金面具出土場所

猪の牙、鹿角、陶器その他祭祀用具多数出土地
 
船棺葬遺跡(非公開 撮影禁止)
 戦国時代初期の蜀国王族墓。全体を船形に整えた船棺9棺、箱形にくり抜いて整えた棺8棺が出土。全て4メートル以上の大きさで、最大は18・8メートルある。棺材は楠(タブの木。日本の樟とは異なる)
 
永陵博物館
永陵博物館
五代の前蜀(907-925)の高祖王建の墓

その他の見学先
四川大学博物館
武侯祠見学
 
三星堆博物館
6月7日

三星堆博物館
復元された1・2号坑祭祀現場見学
 初期王朝時代(BC2000-BC1000ごろ)、黄河中流域に二里頭文化(夏王朝か)が出現した頃、中央の影響をうけながらも在地文化が花開き、三星堆文化や十二橋文化が隆盛、中原的世界とは異なった独自の文化圏を形成した。三星堆文化の特徴として、多くの青銅器とともに、多彩な玉器の存在をあげることができる。その系譜は、新石器時代に長江下流で栄えた良渚文化に求めることができる。
 
都江堰
都江堰(とこうえん)景区 内江と金剛堤を望む

 秦が蜀を平定した後、昭襄王の時代(前306-前25)に蜀守であった秦将李冰父子によって作られた。岷江が四川盆地に流れ出た扇状地の所に、洪水の害を防ぎ盆地に灌漑するために、分水提をつくり流れを二分するものである。

 
明蜀王陵
6月8日

明蜀王陵
石室入り口
その他の見学先
自貢市恐竜博物館見学
自貢市塩業歴史博物館見学
 
重慶
6月9日

三峡博物館前人民大公会堂
 
三峡博物館
三峡ダム建設に先立つ発掘成果を展示 地下塩水からの製塩土器
 
朝天門
長江と嘉陵江との合流点 朝天門
長江の赤土色の水と嘉陵江の青い水が混じる様子がよくわかる。
 
四川省 最後の夜
土田会長挨拶 添乗員 薛(せつ)東風さん 別れの挨拶
 
杭州
6月10日

杭州空港
 
良渚文化博物館
 
反山遺跡
 BC3300-2200頃、長江下流域に広がった新石器文化。黒陶・水稲農耕用農具・中国最古絹織物、麻織物などが出土。多量の玉器を副葬した玉葬墓が発掘され、農業生産によるゆとりから生じた身分の上下関係がよみとれる。
 
江南水郷博物館
建物の角が玉琮の形となっている
 
跨湖橋遺跡
跨湖橋遺跡
 河姆渡遺跡から西側約10キロメートル。標高-1メートルの所にある。この遺跡が放棄された原因は気候温暖化による海進によるものと考えられる。河姆渡遺跡よりも進んだ土器が発見されている。2002年に丸木舟が発見された。樹齢千年以上の馬尾松(バビショウ)という松が使われている。長さ5.6メートル、幅52センチメートル(最大)。オールも発見されていて、実際に使われている。アジアの舟文化発祥の地かもしれない。
 越族が日本へやってきた可能性もある。

案内していただく施館長 丸木舟が展示されている海抜-2mの建物
保存中の丸木舟。今回は我々は特別に見学させていただいた
 
淅江省博物館
淅江省博物館

講演会「河姆渡文化考古新発見の研究」孫国平氏
 田螺山遺跡(河姆渡遺跡の北)について日本の金沢大学と共同研究している。
 橡(トチ どんぐりの総称)の実の穴。集落遺構(柱穴、礎板、壁、溝状のもの)水稲耕作の跡、もみがら片、海洋文化要素(オール まぐろの骨 鯨 日本縄文時代の海辺遺跡と関係がある)。10メートル下にさらに古い層があり、河姆文化より古い文化が存在した可能性がある。

 
西湖
西湖
景色の美しい湖。ホテルは望湖賓館


6月12日
杭州歴史博物館見学 「呉越国 特別展」
13時40分 杭州蕭山空港発
関西空港着 16時55分
 
世界遺産の旅-長江上流と下流の古代文化を訪ねて-に参加して
 研修旅行の様子をまとめてみた。
旅は6月5日から12日までの8日間、館長、会長、会員、添乗者総勢46名で、一日目は関西空港
で東京勢7名も加わり、夕刻四川省成都市に到着。
 二日目、 金沙遺跡博物館へのバスで旅が始まった。遺跡は三星堆文化を継承したとされ、商晩期~西周期で古代蜀の中心都邑で大量の優れた玉器、青銅器を出土した。このあと非公開の遺跡で戦国時代(BC403~221)の蜀王族墓(開明王朝?)の船棺葬遺跡を見学、17基の船形や箱形の刳抜き木棺が枕木上に整然と並び、大量で、良質の漆器、印章、青銅器を出土、墓抗周囲の柱跡より王一族の宗廟で人骨から2次葬墓と見られる。此処は中国共産党四川省委員会前で警戒厳重、徒歩で遺跡へ。
 次は永陵(王建、在位907~918)へ。全長23.4m、石造アーチの三室構造で前室は羨道、中室は墓室で十二力士像に支えられて石造棺台に二十四人の伎楽奏者が刻まれ、後室は石刻の王建像が祀られ、多くの遺物は貴重な研究資料とされる。封土径80m、高さ15m程。更に四川大学博物館で玉石器、青銅器、仏像等の優品を楽しみ、武侯祠(恵陵や諸葛孔明らを祀る廟)から隣りの錦里古街(お土産店街)へ。
 三日目 三星堆博物館へ。遺跡発掘に伴う遺物、遺跡の研究と保存と展示、大きな覆屋の中の祭祀坑遺構の復元展示を行う大規模博物館だ。最大の特色は祭祀坑に埋納された多種多様で大量の祭祀用具群だ。全く想像を越えた異形の青銅器群、多彩で艶やかで、心惹かれる美しい玉石器の数々で、祭祀に対する強い意識や特別な想いが覗える。玉石器の或るものは、源が長江下流の良渚文化に求められるとされるが、上流と下流という地域差や時間差の存在がある中で、共通性のみられる玉石器の使用と背景には興味が湧き「今日はこれまで!!」の満腹感だ。
 この後 都江堰(トコウエン)へ向う。此処は大規模な治水灌漑施設(BC256)で岷江を魚嘴分水堰で外江(本流)と内江(脇流)に分け、内江に飛沙堰と狭い取水の宝瓶口を設け、必要量を取水し四川盆地に配り、余分の水を外江に戻すというもので、武田信玄の治水工事を彷彿させるが、規模がでかい。明日は重慶を目指し自貢市へ向う。
 四日目 バスで自貢市へのロングドライブに出発。明蜀王陵博物館へ。明蜀喜王陵、昭王陵の墓室へ。前室の階段を下りて墓室に入ると、石造の壁は木造寺院の外壁を模し、軒の組物が石ででき、当時の木構造を思わせ、祭祀施設と共に興味深い。後者は道路建設で並べて移築復元されたヤヤ後のもので、施設や意匠に変化が見られた。次の恐竜博物館のあと自貢市塩業博物館へ。
 当地は太古より内陸の製塩業地の歴史があり、地下深くの塩分を含む水脈を汲み上げ、煮詰めて塩を作り各地へ供給する商業の中心地と紹介されている。数百m、時には千m近くに達する井戸もあるとのこと、太い柱(一本ものや束ねた木柱)三本で20mを超える三角錐の櫓を立て、重い鉄錘を用いて掘り塩水を汲み、井戸から出るガスで煮詰めて塩を得ていたとのことである。市内に古来の製塩所があり、あけて待っているとのことで急ぐ。そこは博物館になっているが、塩を作って販売もしていた。束ねた太い寄木柱三本で櫓を立て、塩水を古来の用具を用いて繰り返し巻揚げ(此処はモーターで)、煮詰めて製品とし出荷いていた。貴重な見学で土産で売上に貢献した。
 五日目 小雨の中、重慶へロングドライブの続きで山間地の霧雨のなかをひた走り、風景を楽しむ。果樹は桃が目についたが、棚田が多く殆ど田植は済み、畑はトウモロコシの花がさいていた。雨の村の家々は極く少しの新しい白い新築の家と残りの古い貧しげな農家が入混じり、最近の農村事情を示しているのだろうが、雨中の古びた集落風景は印象的で絵になるなぁと思った。カーブや坂の多い高速道路を激走ののち重慶へ。雨で暗い重い雲が覆っている。
 三峡博物館の優品を見て朝天門に着く。長江と嘉陵口の合流点で上流のダム方面と下流の上海方面への船旅の港として賑う。土色の長江の流れと青黒い嘉陵口の流れが混じり合わずに流れているのが珍しい。
 六日目 杭州空港に着き、良渚文化博物館へ急ぐ。良渚文化は長江下流の余杭県良渚郷に新石器時代に展開したもので良渚遺跡や周辺の反山遺跡、揺山遺跡等を含む遺跡群の博物館で、多様な良質の玉石器や黒色陶器を展示している。この後江南水郷博物館を訪れた。空港から良渚博物館への途中の銭塘江の橋の上で、以前テレビで見た逆流する河のシーンを思い出した。
 七日目 蕭山区の跨湖橋遺跡を見学。蕭山博物館 施加農館長の案内と説明を受けた。遺跡は約八千年前の丸木舟(長5.5m 幅0.5m)が出土し、発掘現場の覆屋の中で保存処理中で、海退期の地層に埋没、今は橋で湖を渡った海抜下の湖底層からの出土だろう。
 この後中国茶葉博物館で試飲と買物。浙江省博物館特別展示を見学、3時から同館ホールで浙江省考古研究所 孫国平研究員の特別講演「田螺山遺跡の発掘と河姆渡文化」を聴く。長江下流域の八千年前の文化の最近の発掘概報として、下流域最古の土器、丸木舟、八本の木製櫂、木柱根から考えられるのは橋か船着場か、下に敷板(礎板)のある掘立柱、壁、柵の跡など高床式建物を含む集落跡やそれと離れて籾殻も出土した水田跡、動物の骨や貝殻、果実や米粒などの遺物、日本の縄文海進と連度するかのような海面の変化が読取れること、縄文文化と結び付く可能性はあるのか?、今から八千年前を越えることはないにしろ、河姆渡文化と同様の文化の遺跡が見つかっており面的な拡がりがあること、下層には更に古いとみられる文化層ありそうなど、興味ある話が聴けた。孫研究員は以前金沢大学に在籍とのこと。このあと湖畔を歩いて西冷印社へ。
 八日目最終日 清河坊歴史文化街(仲見世風土産街)で買物、杭州市歴史博物館を見て杭州空港へ。夕刻関西空港に到着、解散、無事研修旅行を終えることが出来ました。館長、会長、会員の皆さん有難うございました。また国際交流サービスの辻田さんの気配り、ご尽力にお礼申上げます。
(東京支部 西村  昇)
 
 (文責 写真 青木 明美)