講師 吉村和昭氏
場所 代官山 iスタジオ
第71回大和考古学講座を聴いて 林 滋さん | |
地下に石室(玄室)を作る。南九州特有のこの墓制に以前から興味を持っていた。南九州起源なのか、或いは北九州、朝鮮半島の支石墓など、大陸にその原型はないか…。過日、「武器・武具からみた南九州の地下式横穴墓」と題して、吉村和昭先生の講演を聴いた。古墳時代、南九州では前方後円墳とともに、地下式墓(板石積石室墓、横穴墓)が営まれる。前者は4世紀代を中心に川内川流域に、後者は5世紀、6世紀に亘って一ッ瀬川流域から以南に分布し、内陸部(川内川上流域)で両者の分布域は重なっている。地下式横穴墓は、地下に設けた石室に遺体や副葬品を埋葬するもので、その構造は平入型と妻入型がある。地上になんら施設を持たないので、多くは田畑仕事や工事などで陥没し偶然発見される場合が多い。玄室からは、保存状態の良好な鉄製品(武器、武具類)や多くの人骨などが出土し、貴重な考古史料となっている。中でも宮崎市下北方5号墓の副葬品は豪華で素晴しい。また、墳丘を持つ地下式横穴墓も現在確認されている。講座では、南九州に圧倒的に多い圭頭鏃、蛇行鉄剣などの武器を中心に説明があり、後半は武具(甲冑)の解説に多くの時間が割かれた。鉄製短甲は、革綴(三角板・長方板)のものから鋲留短甲(横矧板、三角板)に変遷していく。横穴墓には多くの短甲が副葬されているが、これらは地元製ではなく他所からの移入品と見られている。さて、地下式横穴墓の位置づけであるが、中央の権力と関係があるのだろうか。地下式横穴墓の最盛期は5世紀である。既にヤマト王権の影響下にあるとはいえ、南九州では独自の墓制を堅持していった。被葬者も在地の有力者(豪族)と考えられる。しかし現時点で、地下式横穴墓の起源地、原型を推測するのは難しい。以上、講演の結論をまとめてみた。私見では、支石墓や横穴系の墓室に繋がるとみるが、諸氏の批判を仰ぎたい。 | |
代官山iスタジオ | |
![]() | 出席者は会員49名、一般参加者31名、途中に5名増えて、合計85名に達し、会場をほぼ満員とし充実した講演会となりました。 「武器武具から見た南九州の地下式横穴墓」 吉村和昭先生の丁寧で、気合の入った話しぶりに聴き入り、先生自身も驚いておられる程の熱の入った講座でした。 |
![]() | |
![]() | 展示場には前回の「新羅瓦せんの美」の会場に展示して入場者の眼を引いた法隆寺金堂の瓦(平群町・山本瓦工業提供)が引き続き展示され、また松田館長のご尽力で代官山iスタジオに常時展示している藤ノ木古墳出土の「筒型金銅製品」の復元品が金色に輝いて来場者の眼を釘付けにしています。 |
(文責 東京支部 西村 昇 写真 小林 恒雄) |