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案内 松田館長、就実大学講師 正岡睦夫さん、岡山大学教授 新納 泉さん

10月1日 岡山大学資料館→吉備津神社→楯築遺跡→造山古墳→千足古墳→榊山古墳
10月2日 備中国分寺 →こうもり塚古墳→国分尼寺→江崎古墳→作山古墳→両宮山古墳→備前国分寺跡→赤磐市郷土資料館

 
「吉備路研修旅行に参加して」 中根正喬
 10月1日、友史会一泊研修旅行の日である。この一泊研修は、3年前、河上邦彦前館長の視野を広くもての指導のもとに始まったものである。これまで、福井、徳島、和歌山、三重の4県で実施された。後任の松田真一新館長が、引きつづきこの研修活動に理解を示され、5回目が実現した。
 今回は、備前、備中地域の岡山古代遺跡の研修である。2日間・新大阪・奈良交通バス2台・85名・往復500kmの旅。個々の研修遺跡は、友史会のホームページにまかせて、小生は、今回の研修旅行の成功の鍵につき、その印象の一旦を記し、感想文としたい。
 今回、正岡睦夫先生のご配慮により、こうもり塚古墳と江崎古墳の石室内に入ることができた。85人が見学するには最低でもここ一箇所で一時閲は必要。現場ではよほど見学会員の自制と運営委員のこまやかな配慮と指導先生の要点解説の三点がうまくマッチしないと混乱する。しかも、高齢グループの団体行動ということになると何かトラブルが起こっても不思議ではない。
 研修活動とはいえ、下手をすると我侭集団行動にもなるが、そのようなとは全くなく、さわやかな研修活動の印象を受けた。きっと、松田舘長はじめ岡山大学の新納泉教授、解説していただいた就実大学講師の正岡さん、テキパキ対応していただいた現地会員の延原経子さん、ノウハウ満タンの運営委員の皆さん、企画に積極的に参加して自覚と責任をもって行動をともにした会員の皆さん、それぞれの立場の思いやりの心がうまくマッチしたからに違いない。友史会会則第4条の各自の自覚と責任の行動精神がいかされた研修旅行であったと拍手したい。第6回目が楽しみである。

「吉備路研修旅行に参加して」 小林恒雄
   新大阪駅からバス二台で山陽道を岡山に向かう。始めの訪問先岡山大学考古学資料飴展示室では休日にも拘らず、展示室を開けて岡山大学の新納教授に陶棺、特殊器台と特殊壷、特殊文様弧帯石等展示内容のご説明を受ける。
 午後は吉備津神社に続き、古代吉備を代表する楯築遺跡と造山古墳を訪れた。楯築遺跡は弥生後期の巨大な墳丘墓で、後の前方後円墳の原型となるもの。墳丘上に弧帯石が保護の建物内部に置かれている。造山古墳は五世紀前半のもので全国第四位の規模、陵墓に指定されていないため自由に立入りが出来、おまけに未発掘という。今後の本格的調査を期待したい。この古墳付近には榊山、千足古墳等六基の小古墳があり、そこへの道はコスモスが咲き乱れ、のどかな風情を楽しめる。
 第一日の夕食前に松田館長の「西部瀬戸内地域の縄文時代貝塚」と、前岡山県古代吉備文化財センター長の正岡先生の「吉備の名の由来と造山古墳」のミこ講座が開かれた。
 翌日はまず備中国分寺跡で全員の記念撮影。その後江崎・こうもり塚古墳を訪問。両古墳とも六世紀後半の吉備最後期の前方後円墳で石室の大型化と使用石材、石棺の巨大さが特徴。特にこうもり塚は、石舞台と同規模という石室の巨大さには驚かされる。午後は全国第九位め作山古墳を訪問。正岡先生の案内で草むらの中を前方部、後円部、埴輪を巡らせていた周辺部と周る。
 次は備前の牟佐大塚古墳と両宮山古墳を訪問。両宮山古墳は5世紀半ばの周濠を巡らせた典型的な前方後円墳で、内部は未調査のため不明だが、周辺部の調査では周濠を2重に巡らした大規模さにも拘らず、葺き石、埴輪がまったく見られない不思議な古墳とのこと。
尚近くには整備中の備前国分寺跡もある。最後に赤磐市の山陽郷土資料館を訪問。新大阪に午後6時過ぎに帰着。楽しい研修旅行をありがとうございました。

「吉備路研修旅行に参加して」  山村順子
   2台のバスが岡山大学に着き新納教授の説明で考古学資料館を見学。特殊器台と特殊器台型埴輪が圧巻だった。
ここから就実大学の正岡先生と岡山在住の会員延原さんが合流。桧皮茸入母屋切妻造りの屋根の美しい吉備津神社は工事中。今回の目玉の一つ楯築墳丘墓に登ると巨大な石が楯のように並ベられ、墳碩の小雨の「亀石」に特殊器台に似た弧帯文が見られた。5世紀、吉備最大の造山古墳は9月の測量調査の時事刈りされていて三段築成であることが良く分かる。前方部の神社に阿蘇凝灰岩製の石棺があるが「近くの田から出土」との伝承がある。周辺に点在する陪塚の一つの千足古墳では石障は泥水に埋まっており、レプリカが展示されている・吉備風土記の丘はアスベスト問題で休館中とは残念。第一日の見学が終り宿舎で正岡先生、松田館長のミニ講座の後、和やかに会食。どのテーブルも話が弾んでいた。 第2日は備中国分寺、国分尼寺跡、江崎古墳を見学。石舞台古墳と同規模の巨大な石室のこうもり塚古墳に「被葬者は仁徳の恋人黒媛」との伝説が生まれるのも領ける。作山古墳では円筒埴絵のタガのある破片を拾った人がいた。この地方の特色であるヨコナデ痕を確認し元に戻しておいた。総社での見学を終え高速道を走る。住宅地の中に開口する牟佐大塚古墳は岡山三大横穴式石室の一つで、長大な羨道と堅固な石組みの石室を持つ。続いて墳長約200m吉備では珍しく周濠を廻Ibせた両宮山古墳の外堤に立つ。今城塚古墳に似るが埴幹と葺き石がなく未完成ではないかといわれる。すぐ西に備前国分寺塔跡があり、史捗として整備のため目下発堀調査中。山陽団地開発時の出土品を中心に展示されている赤磐市資料館を見学。「あっ」展示ケースの中でこうもり塚古墳の「単鳳環頭柄頭」が輝いていた。謎に満ちた吉備と大和政権との関係、阿蘇産の石棺、石障や弧帯文など北九州との関係が考えられた。
 2日間、にこやかに丁寧に吉備の古代を語って下さった正岡先生、新納先生、松田館長、延原さん、幹事の皆様に多謝。

   10月1日  新大阪 今回は新大阪駅で迷子になる方も出ず9時定刻出発


今回は地元奈良交通バスを利用。
池田ICから中国道、神戸JCから山陽道へ。
竜野西サービスエリアでトイレ休憩をとり、一路岡山へ向かう。

岡山大学 埋分資料展示室

 岡山大学埋文資料展示室前に、
今日からご案内いただく、就実大学講師 正岡睦夫さんと
岡山大学埋分資料展示室をご案内いただく、新納(にいろ)教授にお出迎えいただいた。
また、今回の研修旅行の準備にご尽力いただいた岡山在住の友史会会員で岡山市教育委員会の延原経子さんもここで合流。

埋文資料展示室は平日の予約時のみ見学可能であるが今日は特別に開けていただいた。
  神体石(弧帯石)  楯築遺跡出土した2個の神体石が入り口に展示

大形のものの複製
表面に線刻と顔を持つ神社のご神体
本物は楯築遺跡の収納庫に。
小形のもの復元
土器等とともに破壊されてみつかる

  土師質亀甲形陶棺

 岡山北部東部の後期、終末期古墳に集中して分布。
 岡山では、蓋が浅く、多くの突起が付く。
 奈良では、歌姫横穴にも見られるが、蓋が身と同じくらい深く、
 突起の代わりにに複数の穴があけられている。
 足は底面周辺だけでなく、底一面にたこの吸盤のように付く。
腰をかがめないとは入れない地下の収納庫も見学。
岡山県北西部、北房町定東塚古墳出土の陶棺が復元されていた。
切妻形屋根も岡山独特の様式。

吉備津神社
  昔、吉備の国には百済の王子で「温羅(うら) 別名吉備冠者」と呼ばれる鬼がいて鬼ノ城を居城とした。
 都への貢物や婦女を略奪し恐れられた。都から「イサセルヒコ」がやってきて、ここ吉備の中山に陣を張り、温羅を破った。
 温羅はミコトに「吉備冠者」の名前を献上した。温羅は首をはねられ、首を吉備津神社の釜殿に埋めたが、首は何年もうなり続けた。
 温羅がミコトの夢に現れ、「妻の阿曽媛に釜殿の神撰を炊かせよ。」と告げた。釜殿はこの後、温羅の霊を祀ることになった。
 温羅は、この釜の鳴り方で幸禍を告げるというが、幸禍の判断はあくまで聞く人の判断によるとのこと。


本殿への階段

 釜殿へ続く回廊

楯築遺跡
 王墓丘陵の北端の神社の社域にあり、大石が楯のように取り囲むことに由来する弥生後期から古墳発生期の王の墓。
 吉備津彦が温羅と戦った時に楯としたとの伝承がある。北東と南西に突出部を持ち、墳丘の長さ40m以上。

 中央部に長さ2m、幅60~70cm木郭が囲い木棺あり。
 墓壙には、石と土器とともに小形の神体石の破片が投入。
木棺内には、大量の朱と数百個の玉や剣が副葬。
排水設備も持つ。
復元された神体石を岡山大学埋文資料展示室で見学。
遺跡南側の収納庫に納められている神体石(弧帯石)
小さな網入りガラス窓からかすかに見える。
出土地は不明だが遺跡中央部の石囲いに安置されていた。
遺跡斜面に残る埋葬霊粋を守る列石
向山9号古墳
楯築遺跡南に隣接する6世紀後半の古墳群(10基残る)

造山古墳


楯築遺跡の北西2.5kmのある丘陵の先端部を利用して作られた全長350m、南西に向き3段築成の5世紀の前方後円墳
前方部には秀吉の高松城攻めに作られたといわれる土塁が残る。
 前方部頂上の神社にある、阿蘇凝灰岩製の刳り抜き石棺の身
周辺の古墳から運ばれたとの伝承もある。
 神社裏には蓋の一部が残る。内面には朱の痕跡。
周辺には古墳が点在。
後円部西側にある2号墳
後円部西南側にある3号墳
後円部南側にある5号墳千足(せんぞく)古墳
2つの埋葬主体を持ち、低い前方部を持つ長さ70m前方後円墳。
後円部に第1主体部の石室が望める、鉄の格子に阻まれてよく見えず。割り石を高く積み上げた横穴式石室で壁の腰に石障をめぐらす。奥壁に並行して棺床が設けられ、それを区切る仕切り石に直弧文が刻まれている。石障は九州唐津砂岩、安山岩玄武岩製板石は北部九州産で構造、装飾とも九州の影響を受ける。
千足古墳墳頂から4号墳
復元中の鬼ノ城西門工事現場を遠望。
千足古墳墳頂から造山古墳前方部(右)と1号墳、榊山古墳(左)を望む。両古墳間隔は60m。榊山古墳は、径40mの円墳で、日本では例のなく朝鮮に類例のある馬形帯鉤や朝鮮伽耶系陶質土器が出土し、被葬者の朝鮮との関係の深さを示す。
 
 恒例の館長ミニ講座 宿泊はウエルサンピア岡山


就実大学講師 正岡睦夫さんから吉備の古墳の解説

 松田館長から吉備の縄文遺跡の説明

10月2日早朝 番外編 秦原(はだわら)廃寺

 ウエルサンピア岡山は総社市秦の丘の上にある。
麓の旧道を北へ1km向かうと岡山で最古の飛鳥時代の寺院遺跡秦原廃寺がある。
見事な塔の心礎が残り素弁瓦が出土。平安京遷都に影響力を持った秦氏は京都に移住する前にここ総社に本拠を構えたという説がある。

金子古墳群 ウエルサンピア岡山は古墳群の中央に位置する。
 丘の南東にあるという秦上沼古墳は、昭和5年の発掘され、粘土郭主体部を持つ前期古墳。
 琥珀玉、水晶ヒスイ匂玉と「天王日月」銘の京都椿井大塚山古墳と同笵の三角縁神獣鏡が出土。


金子1号墳
一辺9m、浅い周濠が巡る5世紀中頃の方墳。
ウエルサンピア正面西側、遊戯施設に中に残る。

朝日の中の金子2号墳
一辺17m、浅い周濠が巡る5世紀中頃の方墳。
ウエルサンピア正面東側駐車場脇に残る。

10月2日 8時30分 最初の訪問地 備中国分寺
へ向かう

  備中国分寺
 江戸時代中期に遺構の上に、現在の国分寺が再建されたため遺構の残りはよくない。調査で、南門、中門跡が検出。
  国分寺五重の塔を背景に全員写真を撮影。
 この写真は、A5サイズに焼き増しして参加者全員に配布。
 拡大写真をご希望の方はこちら取り出せます。(320k)。

 ここで2班に別れ、こうもり塚は正岡先生、江崎古墳松田館長が同行。

 こうもり塚古墳 岡山3大石室の1つ
 全長100nの後期の前方後円墳。普段は鉄の格子で石室中に入れないがあけていただき正岡先生の説明を聞く。


  後円部に開口している横穴式石室は全長20m。


石棺は岡山西部、井原市浪形産の貝殻石灰岩製

玄室の長さ8m、幅と高さ3.5m。飛鳥石舞台に匹敵
その名のとおり、こうもりが石室壁にぶら下がる。

 国分尼寺跡 
 低い丘の松林の中に南門、中門の遺構が残る。

 金堂と思われる5間×4間の礎石群
 築地と思われる土塁

 江崎古墳 全長45mの後期の前方後円墳。石室内で松田館長に説明いただく。

全長13.5mの横穴式石室が後円部に開口
石棺はこうもり塚と同じ岡山西部、浪形産貝殻石灰岩製
規模はこちらが大きい。こちらの石室にもこうもりが住む。
石室の閉塞石が残る

作山古墳
 造山古墳の西側3kmに丘陵の先端部を利用して作られた全長285m、南西に向き3段築成の5世紀の前方後円墳

 前方部稜線から墳丘に登る。
  後円部への道

牟佐大塚古墳 吉備地方の上道と呼ばれた中心地域、赤磐市(旧山陽町)周辺へ移動


赤磐市(旧山陽町)の西に隣接する岡山市牟佐地区にある、南に開口した径25mの後期の円墳
岡山3大石室の1つ。牟佐は山陽道が旭川にぶつかる交通の要所

石棺はこうもり塚、江崎古墳と同じ浪形産貝殻石灰岩製。
ここの石室にもこうもりが住む

石室全長18m、玄室は両袖式、長さ6m、幅2.8m


両宮山古墳
 全長190m、墳丘高さ20mの岡山県第3位の大きさを誇り、水を湛えた周濠を持つ5世紀中ごろの前方後円墳。

後円部作り出しを望む
前方部周濠

  森山古墳
 両宮山古墳前方部南側に位置する同時期に築造された周庭帯を残す全長82mの帆立貝式前方後円墳。
  和田茶臼山古墳
 両宮山古墳後円部北側に位置する同時期に築造された全長55mの2重の周庭帯を残す帆立貝式前方後円墳。両古墳とも両宮山と関連のある被葬者が想定される。

備前国分寺跡  両宮山古墳の西200mに備前国分寺跡がある。


塔の心礎の上に鎌倉期の7重の石塔が立つ。
国分尼寺は山陽道の向こう側と推定。

寺域は東西180m南北240m。
中軸線上に南門、中門、金堂、講堂が並ぶ。

赤磐市山陽郷土資料館
 学芸員の方が展示品を丁寧にご説明いただく。赤磐市には、縄文時代の食糧貯蔵跡、南方前池遺跡、弥生から古墳時代前期にかけての鏡が出土した用木遺跡、甲冑、剣、環頭太刀、陶棺を持つさまざまな古墳が点在。


 最後ににわか雨もあった、日中は30℃近い真夏に戻った
2日間だったがまずまずの天候。
無事に予定より早く18時過ぎに新大阪に帰着。

  写真・説明文 伊田嘉文、下尾茂敏