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2004年7月14~22日 案内:博物館 河上邦彦館長

1日目 7月14日(水) 関西空港→北京→西安→陽陵
2日目 7月15日(木) (西安東郊外)秦始皇帝陵→兵馬傭博物館→橋陵→秦陵
3日目 7月16日(金) (西安西郊外)昭陵・博物館→乾陵・博物館
4日目 7月17日(土) (西安郊外)漢長安城遺跡→阿房宮遺跡→西周車馬遺跡→陜西省歴史博物館→大雁塔
5日目 7月18日(日) (平遥)平遥古城→双林寺→鎮国寺→無辺寺白塔
6日目 7月19日(月) (太原)玄中寺→晋祠→双塔寺
7日目 7月20日(火) (大同)応県木塔→雲崗石窟→大同市博物館→平城古城(城壁跡)
8日目 7月21日(水) (北京)盧溝橋→周口店北京猿人遺跡・博物館→金陵→雲居寺→瑠璃河遺跡(西周燕の遺跡)
9日目 7月22日(木) 北海公園→大鐘寺→北京空港帰国(JR向日町)

 第5回友史会海外遺跡の旅は「中国の王陵と都城及び仏教遺跡の旅」というテーマで7月14日から22日、一行33名で出発しました。突然の中国の軍事演習のため関空の出発が1時間遅れたり、ほとんど全員の荷物が西安空港で受け取れなかったり、その他いろいろとトラブルがありきわめて大陸的な旅でした。14日、15日、16日三日間かけて西安郊外にある漢代、唐代の王陵を巡りました。前漢十一陵はいずれも渭河北岸にあり、長安城を俯瞰できる地に築かれた方墳でとてつもなく広い陵園がある。ところが、唐陵の大半は山陵であり、風水思想を取り入れた地が選ばれているという特徴があります。いずれも大変な大きさで、なかには昭陵(唐2代 太宗627~649)のように陵園が大阪市の面積に等しいというものもあり、南には朱雀門をはじめ様々な建物があり、山の背面の北側には玄武門と祭壇が築かれているという形式がほとんどです。17日には漢の長安城遺跡、阿房宮遺跡、西安都城の見学。この日も都城のおおきさにびっくりさせられました。ちょうど桃の熟れる時期で至る所で桃を売っている姿が見られます。城壁に囲まれた町、平遥古城を見学の後、双林寺、鎮国寺、玄中寺、応県木塔、雲崗石窟等の仏教遺跡も見ました。同じ仏教遺跡でも日本のそれと少し異なっているということを実感しました。西安から北京まではバスで約1日、夜行列車2回という距離で中国の広さを感じさせられました。北京の街は建国50周年の頃から徐々に近代化され、オリンピックを控え、更に加速度を加えているようです。周口店遺跡は思ったより大きな遺跡で、さすが世界文化遺産に指定されているだけのことはあるなと思いました。 瑠璃河遺跡は西周の頃の燕の遺跡で、17日に見学した豊鎬の西周車馬遺跡と同じように馬等動物が追葬され青銅器を使った文化が栄えたようです。遺跡で拾った黒陶卵体土器の破片を見ながら、50万年前の北京原人の時代から紀元前10世紀頃の周そして漢、唐の時代を経て現代の中国と歴史的に長い旅をした9日間を思い出します。気候や習慣、水、食べ物の違い、その他いろいろの事で体調を崩された方も多く、ある面では大変な旅でしたが、歴史を実感することのできたいい旅でした。参加された皆様、それに旅の実現のために支えて頂きました河上館長をはじめ博物館の皆様、本当におつかれさまでした。そしてありがとうございました。(青木 明美)
14日
北京空港
 荷物を持って乗り継ぎ(左)
西安到着 一部の人しか荷物がない(右)
専用バス  (左)
陽陵博物館 (右)
15日
兵馬俑博物館
参加者集合
拡大写真はこちら(149K)
始皇帝陵遠景
橋陵神道
泰陵 玄宗皇帝陵
風水思想にもとづく地形のよくわかる陵
16日
昭陵博物館

臣下 李勣の陪塚
昭陵 唐2代太宗陵 627~649
北側 天壇遺跡
乾陵
高宗(唐3代 650~683)と武則天(684~705)合葬陵
乾陵 蕃臣の像
ポシェットが気になる
17日
長安城遺跡
安定門(左) シルクロードの出発点
安定門より西方を望む(右)
18日
平遥駅
 夜行列車で到着(左)
平遥古城城壁(右)
平遥町並み
19日 太原
玄中寺(左)
     晋祠(右)
20日 大同
   応県仏宮寺

応県木塔
21日 北京
北京民族飯店(左)
盧溝橋(右)
周口店北京猿人遺跡・博物館 
雲居寺
館長講義
22日 北京
大鐘寺(左)
槐(えん)並木(右)
北京空港
土田副会長帰国挨拶



(写真・説明 青木 明美)