yushikai.jpg

(28日)釜山空港→鳳凰台遺跡→金海貝塚→大成洞古墳

今回で4回目となった「世界遺跡を巡る旅」は、2003年7月28日から8月3日の7日間、河上館長を団長とする総勢41名で韓国中南部に出かけた。
 主な目的は日本古代文化の源流とも言える伽耶・百済・新羅の古墳・古代寺院・博物館に加えて、
橿考研と報密な交流のある東亜大学校・慶北大学の資料館の見学であった。
 梅雨明け直後の暑い7日問であったが40代から80代にいたるメンバーの貪欲なまでの見学にいささか目を丸くするばかりであった。
 釜山を出発して朝鮮半島の南部を東から西へ走り、漁港の町木浦へ。さらに大田へ北上、そこから大邱・慶州へ東走。南下して釜山へ戻るという高速道路の利用(1500キロ)がなければとても回れないハードな道のりであった。
 主な訪問先は二つの大学資料室、金海遺跡(貝塚・鳳凰台遺跡群の発掘現場)、金海博物館、大成洞古填、福泉洞古墳、松鶴洞古墳、光州の月桂洞古墳(石室内見学)、木浦の海洋遺物展示館、扶余では定休寺址、軍守里廃寺博物館、陵山里古墳群、公州では武寧王陵の資料館見学ののち古墳群へ汗をかいて登る。八万大蔵経の海印寺、大伽耶の都があった高霊池山洞古填群では地元の高霊新聞社とTV局の取材を受ける。慶州では皇龍寺跡の広大な伽藍跡に散る蓮華文の瓦片などを手にしながら昔日の寺勢をしのぷ。
海水洛客で賑わう文武大王海中陵から真打ちの舎羅里古墳群の発掘現場へ。現場では研究員の方から詳しい説明を受けながら、群集する積石塚古墳群の間を見て回る。
 大学資料館では以前橿考研に留学された研究者の案内も受け、発掘中の現場見学など友史会ならではの充実した有意義な研修旅行であった。
 恒例となった夜の、ミ-ティングも連日で、館長を朗んで酒を交わしながら熱心に質軽応答が続き、大いに親睦を図ることができた。(小川紘史)
はじめに

第4回 世界遺跡の旅 韓国資料集
~韓国中南部の古代文化に触れる旅~
今回の研修旅行で戴いた資料は A4 81ページにもなる大冊である。韓国時代区分・加耶文化・百済文化・新羅文化の概説から今回訪問する遺跡の地図、学術的調査図、解説、土器編年図、写真、遺物、遺構の時代的変遷、さらには 韓国考古学の歴史的推移そして、全南大学教授である林永珍氏の全南地域の長鼓墳(前方後円墳)に関する論文まで盛り込まれている。研修資料として戴いたが、果たして読みこなすことができるかどうか疑問である。
東亜大学校訪問
韓国では各大学に博物館施設が付属しているようで、この大学にも1969年以来、加耶文化圏を中心に発掘調査した遺物などがたくさん展示されている。最初の調査は福泉洞古墳(第1号-第10号)で、1969-1971年にわたって行っており、館内の見学には親切、丁寧にご説明戴いた。
今回のドライバーとバスガイドさん
日本人観光者ガイド専門の国家試験(合格率3%)をパスしたチェ・ウィスクさん。流暢な日本語を駆使して、日韓の冠婚葬祭の違いなど民族的な視点から説明してくれた。新婚旅行は日本で、子供さんもいるとのことであった。ウィットもあり、道中を一層楽しい雰囲気にしてくれた。ドライバーは朴周一さん。運転の腕前は一流、いつもほほ笑みをもって安全運転を心掛けてくれた。道中急ブレーキは一度もなかった。韓国は日本の左側通行と異なり右側通行で、バス席最前列でひやひやして通り過ぎる景色を見ていた。ときおりハングル文字に出会うと韓国に来ていることを感じたが、日本の田舎の風景と全く異なることはなく、山も田圃もあおあおとしていた。
(1日目:7月28日)
SARSの影響もあってか、関西国際空港は空いていた。利用する者にとっては空いているほうがよいが、利用されるほうはこれでは困るだろう。朝9:45分集合に一人の遅刻者もなく、6泊7日の橿原考古学研究所付属博物館の河上邦彦館長を団長とした総勢42名の韓国遺跡研修旅行がスタートした。
釜山空港からバスに乗り込む
無事釜山空港に到着。釜山空港で入国手続きを済ませ、玄関口にに出ると、これからお世話になるチャータバスと最初の宿泊ホテルである農心ホテルに手荷物を運んでくれる荷物運搬車が待機していた。
首露王陵
首露王は西暦42年3月3日に亀旨峯に降臨し、九干に推戴され王位についた。六加耶の祖といわれる伝説の王であるが、現在、その王陵はその子孫といわれる人達によって整備されたものらしい。より立派に、より美しくという意識が働いたらしく、考古学でいう遺跡とは異なるものを見ているような気がした。
鳳凰台遺跡
鳳凰台付近遺跡発掘現場見学
鳳凰台遺跡は非常に整備が行き届いた高台にある。高地性集落の性格をもつ遺跡と聞いているが、頂上には駕洛国の石碑が建っている。また当時の住居や見張り台や防護柵なども復元されているが、高台に登るまでの舗装道路や周辺のビル林立風景の中に囲まれて、遊園地を散歩している気分であった。しかし、高台から下を見ると青いビニールシートが目に入り、明らかに発掘現場に違いない遺跡らしきものがあった。遺跡の名称が分からないので、仮に鳳凰台付近遺跡としておくが、その現場に立つことができた。湿地帯に建物があったらしく、横板が残っており、周辺の土手には白い貝殻の帯びなども見ることができた。係の人達が、乾燥しないように水を掛けて我々の到着を待っていてくれたそうである。それにしても、あまり便利とは思われないこのような場所で当時の人々は何をしていたのであろうか。
金海貝塚
前期加耶の中心地だった洛東江下流の海岸地帯には、多くの貝塚遺跡と土壙墓が発見されている。これらの地域では、日本との交流を明らかに示す縄文土器が見つかっているとのことであるが、ここは一見貝塚とはみえない高い場所にある。地形の変化によるものだろうか。どのように古い時代のさまざまな変化を読み取るのか、考古学の最も難しいところであろう。
大成洞古墳群
大成洞古墳からの遠望(金海市)
かって金官加羅という国があったところの代表的な遺跡で、丘陵を囲む環濠も発見され、ここは居住村落であったとのことである。遺物や遺構から、この遺跡は3-6世紀の長期にわたって当時の人々の生活の舞台となったところであるらしい。すぐ近くに、大成洞古墳群の展示館が完成していたが見学することはできず、オープンは8月末とのこと。僅かのタイミングのずれで見ることができなかったが、また見る機会もあるだろう。