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(1日目) 徳島県埋蔵文化財センタ→郡里廃寺→段の塚穴古墳→美馬町郷土資料館
(2日目) 渋野丸山古墳→徳島県立博物館→穴不動古墳→阿波国分尼寺跡→徳島市立考古資料館→矢野古墳→奥谷1号墳→宮谷古墳→阿波国分寺

『阿波に踊る』
 1泊2日の史跡巡り、今回は阿波の国へ出かけました。約100名がバス二台に分乗し、新大阪駅から明石・鳴門の海峡を渡り徳島県へ。車中では河上館長の講義などを聞きながら鳴門の地に到着。
初日は県立埋文センター、郡里廃寺跡、段の塚穴古墳、美馬町郷土博物館を見学。
翌日は徳島市立考古資料館の一山館長の案内で、渋野丸山古填、県立博物館、穴不動古墳、阿波国分尼寺跡、考古資料館を見学。資料館から矢野古填・奥谷1号墳・宮谷古墳へは山道を上り下りし汗をかく。そして阿波国分寺を最後に2日間の勉強会を終えました。
 勉強ということで抑えていたビールを買い求める列ができる。さすが友史会員だな-と節度ある姿にいたく感心する。
 河上館長には大変お世話になりました。ありがとうございました。企画から2日間の進行にあたった吉村・矢内・松永3委員には大変感謝しております。本当にお疲れ様でした。
 1泊2日の史跡巡り、ご好評いただいており、より多くの方が参加できるよう、今後は春秋の年2回計画したいと思っております。今秋は10月早々に中・南紀へ出かけることにいたしました。また来年以降の見学候補地として出雲、鳥取、安芸、西播磨、但馬、讃岐、信濃・伊那谷、加賀、美濃、山梨などを考えておりますのでご希望がありましたら事務局までお願いします。(友史会長 小川紘史)
2003年6月友史会徳島史跡見学会 1日目
徳島県埋蔵文化財センター(板野町)
平成7年に設立された。徳島県の旧石器時代から中世までの遺跡を中心とした出土物や模型が展示されている。土器の展示方法が面白い。弥生の音色広場の銅鐸や分銅型土製品を模した造型物は古代徳島県の文化を象徴している。
敷地内には、西山谷2号墳(左写真)が移築されている。西山谷2号墳は3世紀半ばの最古級の直径20M程度の円墳。吉野川南岸の青石を用いた石室が中央に築かれていた。
郡里(こうさと)廃寺跡(美馬町)
白鳳時代の法起寺式の伽藍配置をもつ阿波最古といわれる寺院跡である。周辺ではいまだに模様の残った瓦の小破片に出会えることができるが、もちろん平素の行いが良い人の話である。銀杏の木が一本たくましく、今は主のいない遺跡の留守番をしてくれている。
段の塚穴古墳 棚塚(美馬町)
径20mの6世紀後半の円墳で、主体部は横穴式石室である。長期間にわたって追葬が行われたと指摘されている。すばらしく見晴らしのいいところである。写真は裏側前景。
段の塚穴古墳 棚塚 順番待ち
今回100名近くの友史会員が参加したが、皆古墳を前にすると考古学者に負けないくらい目が輝いてくる。下見などで予め時間配分をして臨んでいるが、その見学には時間オーバーがつきものである。皆遺跡を前に古代人の心に思いを馳せるからかも知れない。
段の塚穴 太鼓塚内部
段の塚穴 太鼓塚正面
正面に立つと、奥行きを深く見せる工夫がこらされているように思える。天井石を少しずつずらせて光の陰影効果を持たせている。
中は持ち送り式の製法でドーム状になっている。築造技術の素晴らしさを感じさせる古墳である。
河上邦彦館長講演 本日のまとめ
夕食前に、その日見学してきた遺跡・遺物など総括的な話が楽しみだ。
活字にする話ではないので,思いきった内容の話が聞けるのが面白く、とくに考古学者にアルコールがはいると聞く者をいつしか古代人と話しているような気にしてくれる。
2003年6月友史会徳島史跡見学会 2日目
渋野丸山古墳にて
県下最大(全長90m)の三段築成前方後円墳である。このあたりでは突出した大きな墓である。出土した円筒埴輪・草摺形埴輪などから、5世紀中葉の築造と考えられている。このあたりの最大の政治勢力者の墓と思われるが、この人の父母や子供達の墓はどこにあるのだろうか。
そしてこの勢力はどのような終焉を迎えたのだろうか。きっとドラマがあるに違いない。
渋野丸山古墳前方部(徳島市渋野町)
横から見るとよく形がわかるとのことで見てみたが、よく分からない。少し前に雑草を刈り取ったとのことであるが、すぐに繁殖して元に戻るらしい。古墳の葺石は崩れ防止のためと思っていたが、ひょっとすると雑草防止がほんらいの狙いかも知れない。
徳島県文化の森総合公園 県立博物館
図書館,美術館、文書館、21世紀館、博物館と自然、歴史、民族、芸術、教育など徳島県の総合的な文化の拠点となっている。博物館には旧石器時代から縄文、弥生時代、古墳、中世、近世まで幅広く時代別に徳島県の文化の流れを紹介している。
穴不動古墳(徳島市名東町)
徳島県特有の緑泥片岩の巨石をもちいた両袖式横穴石室をもつ7世紀初頭の円墳(径16m)である。
古墳は地蔵院の境内にある。地蔵院周辺には、鏡や人骨を出した節句山古墳群や積石塚で有名な八人塚があるが、
今回時間等の都合もあり訪れることができなかった。
阿波国分尼寺跡(名西郡石井町)
金堂跡、北門跡、築地、溝などが検出。方1町半(約159メートル)、伽藍中軸は西に11度振れている。南門はなかった??。瓦、土師器、須恵器などが出土。
徳島市立考古資料館(徳島市国府町)
縄文,弥生,古墳、奈良、平安と時代を追って考古資料700点がわかりやすく展示されている。
一部資料は年4回程度展示替えしているとのことである。ここで今回の参加全員写真を撮ることにしました。
参加した友史会のみなさんの晴れやかな表情をご覧下さい。
矢野古墳(徳島市国府町)
径15mの円墳で気延山古墳群の盟主的存在とのこと。6世紀末から7世紀初めの年代に築造されたと考えられている。
平地から10m程度の高さの斜面にあるが、100名近くの見学者がロマンにひたるには40分では不足である。
矢野古墳石室
奥谷1号墳(徳島市国府町)
気延山古墳群の一つで、4世紀末頃の全長50mの前方後方墳。墳丘の周囲に円筒埴輪や朝顔形埴輪が巡らされてい
たとのことであるが、この時代、この地域との大和の関係はどのようなものであったのだろうか。
宮谷古墳(徳島市国府町)
尾根上に築かれた、気延山古墳群の中では最も古い時期の古墳で4世紀初頭の築造。全長37.5メートルの前方後円墳で三角縁神獣鏡が3点出土。
阿波国分寺
天平13年(741)、鎮護国家のため各国に建立させた官寺である。創建詔に「国分寺の地は必ず好地を選ぶこと」
「僧寺20僧、尼寺10僧を定員とする」などいくつかの条件があり、なかなかうまく進まなかったらしい。
やがて律令制の衰退とともに、国家の保護を失い、荒廃する運命を辿ることになる。
番外編
会員は早起き。朝食前におもいおもいに城山貝塚や宿の南側尾根上にある勢見山古墳を見学。
勢見山古墳(徳島市 二軒屋町
勢見山古墳は4世紀後半の築造の前方後円墳とも言われるが円墳残欠をとどめる。内部は結晶片岩8段の割り石が積まれ9枚の蓋石がある。開口部高さ40cm。
城山貝塚(徳島市城内)
鳥居龍蔵が大正11年に発掘。
縄文から弥生にかけての岩陰遺跡。
土器、石器、屈葬人骨が検出されている。
(文責 中根正喬 下尾茂敏)